ウィリアム・ブラムフィールド

O1湖や川があちらこちらに点在するロシア北部の森林地帯は、ロシアの中でも最も深遠な芸術的伝統の地に数えられる。人口の減少と経済的衰退にもかかわらず、北部にはこの遺産の優れた例が現存している地域がある。
そのような地域にある村々では、まるで時間が止まったかのようである。
たどり着くまでの移動は大変だが、この小さな村々を訪れる価値は十分にある。

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  1. shinichi Post author

    ロシア北部の伝統建築

    by ウィリアム・ブラムフィールド

    http://roshianow.jp/travel/2013/04/09/42345.html

    たどり着くまでの移動は大変だが、ロシア北部のこの小さな村の教会堂を訪れる価値は十分にある。

    湖や川があちらこちらに点在するロシア北部の森林地帯は、ロシアの中でも最も深遠な芸術的伝統の地に数えられる。人口の減少と経済的衰退にもかかわらず、北部にはこの遺産の優れた例が現存している地域がある。

    そのような地域の一つは、モスクワから885キロほど離れたアルハンゲリスク州に所在する小さな街、カルゴポリ周辺だ。カルゴポリから100キロの範囲にある村々では、まるで時間が止まったかのようである。

    オシェヴェンスク村への道

    中でも最大で最もよく保存されている村の一つは、カルゴポリの北西80キロに位置し、チュリュガ川沿いにあるオシェヴェンスコエ村だ。カルゴポリからは、細道が野原や森林を通り抜けて、リェカ(「川」の意)というふさわしい名が付けられた村の中を流れる川にたどり着く。

    チュリュガ川に架けられた橋の近くには、煉瓦建てで5つの半球状の屋根と鐘楼が特徴の聖ゲオルギイ教会堂(1890年代建造)が立っている。 1930年代に略奪に遇い、その後は農場の収納庫として使用されていたこの教会堂は、2004年に元の姿に修復された。

    聖アレクサンドル・オシェヴェンスキー修道院

    オシェヴェンスコエに近づく道で目立つのは、左側に見受けられる煉瓦と石灰岩石でできた聖アレクサンドル・オシェヴェンスキー修道院の構造だ。これは、コンスタンティノープルがオスマントルコ帝国の手によって陥落した1453年に、修道士アレクサンドルによって建てられたもの。創立者は、裕福な小作農ニキーフォル・オシェヴェンの家庭に生まれ(俗名はアレクセイ)、積極的に宗教的教育を受けさせられた。

    キリロ・ベロゼルスキー修道院で剃髪を受け、アレクサンドルという名を与えられたこの若い修道士は、中世ロシアの大商業都市ノヴゴロドが所有していたカルゴポリの西に位置する肥沃な土地に父が移住すると、自身もそのあとを追った。この修道院は宗教生活の中心地となり、アレクサンドルは地元の聖人として敬われた。ソビエト時代には閉鎖され、完全に荒廃したが、この修道院と、その中でも主たる生神女就寝教会堂は、来訪者と聖地参拝者に再び公開されている。

    修道院のすぐ先にあるチュリュガ川には木製の橋が架けられているが、この橋自体も立派な芸術作品だ。この村は比較的大きく、600人の住人がいるが、その多くは夏季の来訪者向けに家を貸し出している。

    直線的に長く伸びた形状のオシェヴェンスコエは、川沿いに絵のように美しくたたずんだいくつかの集落から成っている。一つめの村はポゴストという名前だが、この名前は、教会堂と墓場のある聖地を表す言葉に由来したものだ。

    ポゴストの教会堂

    ポゴストの教会堂は公現祭を祭ったもので、構造と芸術がきわめて見事に組み合わされた、ロシア北部でも有数の傑作だ。1787年に頑丈なマツ材を使って建てられた公現祭聖堂は、八角形の主構造の頂点にテント型の塔があるのが特徴。

    しかし、この教会堂で驚くべきことは、ロシア北部の木造教会堂の中でも最大級の空間を誇る内部だ。この教会堂は1930年代に閉鎖され、第二次世界大戦中に再開したが、1960年代にニキータ・フルシチョフが展開させた反宗教運動の最後の波により、再び閉鎖された。1990年代後半になって、ようやく祈祷集会のために再開された。その長い期間中、イコンのほとんどは略奪されてしまった。

    イコンが掲げられた聖障(イコノスタシス)のすばらしさに見劣りしないのは、「天」とよばれる絵画の装飾が施された吊り天井で、この部分のほとんどは現存している。

    この「天」の基本的な形状は、側壁の最上部から天井の中心円まで真っ直ぐに伸びた柱によって区画化された多角形だ。これらの柱はわずかに曲げられているため、壁と中心円の間で自重を支えることができるフレーム構造を成している。絵画が施されたパネルは細長い三角形の形状を成し、留め具を使うことなく柱のフレームに取り付けられている。このデザインは、張力と重力を器用に活用したものだ。

    聖障(イコノスタシス)後方にある、主要な聖体拝領台の両側には、囲いがある副次的な聖体拝領台があり、これらには天井に描かれた「天」のミニチュア版ともいえる装飾が施されている。冬期の厳しい気候の中で行われる暖房付きの礼拝用として拡張された大食堂が、主要な構造の西側にある。

    聖ゲオルギイ礼拝堂

    オシェヴェンスコエの端にある集落のニーズという名称は、これがオシェヴェンスコエで最も低地に位置していることを示している。ここにも聖ゲオルギイ礼拝堂というすばらしい宝が待っている。これは19世紀に、道路が村に入る地点の、少し高台になった部分に建立された。礼拝堂には2つの塔があり、その1つは鐘塔として使われている。

    オシェヴェンスコエにはそう簡単に行くことはできないが、そこに所在する家々や教会堂はすべて、建造以来元の場所に所在し続けてきたゆえに一層貴重なものである。季節や道路状態に関係なく、この地では、訪れる勇敢な旅人を、ロシアの地方でしか目にすることができない最も素晴らしい文化財をもって報い、もてなしてくれる。

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