売上げのいい誰々店長は今月1日も休んでいませんよ。あなたは何日休んだの?
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会社は1本の樹に似ています。
経営陣や店長という幹の先にはたくさんのスタッフが連なっています。
お客様のご満足をたくさん吸い上げることができれば、この大樹は丈夫な幹を持ちみずみずしい葉が茂りますが、お客様の満足度が低く根元も不安定だと、貧弱な樹になってしまうのです。
しかしこの樹には即効性のある化学肥料は通用しません。
何事にも感謝をする心、お客様をはじめ弊社と関わってくださるすべての方々と調和し、喜んでいただくことの積み重ねが良質な土壌となると私たちは考えます。
そしてバランスのとれたしっかりとした根を張ることで、おいしい果実(=結果)のなるいきいきとした大樹が育つのです。
より多くのお客様の「ごちそうさまでした。又、来ます。」の声がいただけるように、私たちはこれからも日々成長を続けてまいります。
くいしんぼ
代表取締役
上田英貴
http://www.kuishinbo.jp/
渋谷センター街飲食店の24歳「名ばかり店長」が過労自殺 月200時間残業でもパワハラ上司が休み与えず
by 佐藤裕一
http://www.mynewsjapan.com/reports/1812
飲食チェーン「ステーキのくいしんぼ」渋谷センター街店の店長だった和孝さん(当時24)は、パワハラ上司による徹底的な支配の末、毎月200時間ほどの残業にも関わらず「無駄遣いするから」と休みを貰えず、死亡前7カ月間に取得できた休みは2日だけ。勤務後、朝まで遊びに連れ出されることもたびたびだった。和孝さんは勤務直後の2010年11月8日午前1時ごろ、店舗が入るビルの非常階段の踊り場で首吊り自殺し、2012年3月、渋谷労基署が過労自殺だったと労災認定した。和孝さんはどのような支配を受けていたのか、サン・チャレンジ社に損害賠償を請求する訴訟を起こした遺族への取材と裁判資料からまとめた。
◇「ソースがないから買って来い」と上司休みに
◇「なぜ休日を与えないのか」心配する執行役員も
◇店長になっても状況変わらず
◇アパートの水道使用量、1年でわずか12リットル
◇残業は月200時間、8カ月で1355時間と労基署
◇「名ばかり店長」認定、奪われた残業代など給料上回る
◇「上司が帰らないから帰れない」
◇上司からの電話で顔面蒼白 死亡直前
「売上げのいい誰々店長は今月1日も休んでいませんよ。あなたは何日休んだの」。毎月1回の店長会議で、株式会社サン・チャレンジの上田英貴社長は、店長が休むことを非難するかのような発言を繰り返していた。
同じ会社に親子で勤め、長男を亡くした政幸さん(58)は、同社が首都圏で展開する飲食チェーン「ステーキのくいしんぼ」の店長として、その発言を聞いていた。前年比の売上げが低下し続けていた店長に対して、「業務への取り組み方が悪い。それはあなたの人格が悪いからだ」と批判する発言もあったという。
政幸さんは、後悔をまじえて次のように話す。
「会社自体に長時間労働で過労死するという認識がなかった。意思があればいくらでも働ける、という社風でした。私も3カ月休みなく働いたこともありますから。仕事のし過ぎで自殺するなんてことがあるのかなと、そうなるまでは知らなかったし、興味もなかった」
「24歳じゃ体力があれば働けますよね。それも剣道で鍛えたということがあった。今回こういうことになって初めて、過労死の家族会に行って話を聞いたりして、長時間労働で自殺しちゃうんだなとか、働きすぎると人間は死ぬんだな、ということがわかった」
死亡したのは、渋谷駅にほど近い「ステーキのくいしんぼ」渋谷センター街店の店長、和孝さん。当時24歳だった、政幸さんの長男だ。連続勤務90日目の2010年11月8日午前1時ごろ、店舗が入るビルの非常階段の踊り場で、首吊り自殺した。
上司のエリアマネージャー(20代)が意図的に休みを与えず、月200時間の長時間労働と暴力を日常的に受けていたことによる過労自殺だった。
◇「ソースがないから買って来い」と上司、休みのデート中に
和孝さんは、剣道で特待生入学した高校を05年3月に卒業すると、東京・銀座にある高級レストランに入社。しかし、長時間労働や希望する調理の仕事になかなか就けなかったことから2年で退社した。
そのころ、政幸さんが店長をしていた「くいしんぼ」入谷店ではアルバイトが不足していた。和孝さんが「調理の仕事がしたい」と話していたこともあり、「だったら自分のところで働いてみないか」と声を掛けた。これがきっかけとなり、和孝さんは07年5月から入谷店でアルバイトとして働き始めた。
息子だからといって特別扱いはしていなかったが、しばらくすると、上田社長から「親子で働いていると甘やかすことになる。正社員にして別々に働くべきだ」と声がかかった。「(和孝さんのことは)私に任せなさい」とのことだった。
アルバイトをはじめて3カ月後の07年8月、会社は和孝さんを正社員として採用し、高円寺北口店に異動させた。
和孝さんがナンバー2として渋谷センター街店に配属されたのは、半年後の翌08年2月ごろ。このとき同店を仕切っていたのが、和孝さんより1歳年上の梅原=仮名=という店長代理(後に店長、エリアマネージャーと昇格)だった。
和孝さんと仲の良かったアルバイトの証言によると、和孝さんは配属当初こそ週1日程度は休めており、金曜日の仕事が終わるといっしょにラーメンを食べにいったりする時間はあったようだ。8月ごろからは同店のアルバイト女性との交際も始まった。
だが、やがて休みは月に1度取れるかどうかという程度になり、その休みのときも、「ソースがないから買って来い」というような用事で梅原氏に呼び出されることがたびたびだった。
たとえば、交際がスタートして間もない9月5日。和孝さんが休めることになり、彼女といっしょに横浜の遊園地「コスモワールド」に遊びに出かけた。観覧車とジェットコースターの券を買ってこれから乗ろうというとき、梅原氏から「ソースが足りないから買って来い」と和孝さんに電話があった。
「いま横浜です」と伝えても梅原氏は引き下がらず、「すぐに帰って買って来い」と命令。和孝さんは観覧車に乗らずに渋谷に戻り、彼女が「誰でもすぐに買える」というソースをスーパーで買って店に届け、そのまま3時間ほど勤務したという。
その彼女は、遺族が会社や梅原氏らを訴えた損害賠償請求の裁判で、和孝さんの休みについて、「丸々1日を休むことは殆どありませんでした」「ひどい時は、3か月に1回しか休みがありませんでした」と述べている。
◇「なぜ休日を与えないのか」心配する執行役員も
当時、和孝さんの住所は埼玉県内の実家だったが、センター街店の閉店時間が夜11時と遅く通勤にも時間がかかっていたため、店舗ビル上層階の休憩室で寝泊まりしていた…..
凶悪犯罪同然 正直言って