>
無神論は、古代ギリシャの昔から、しばしば思想家たちの間に見られるものでした。しかし現代における無神論は、その影響を与える範囲の広さにおいて、過去のものとは比べものになりません。
近代から現代にかけて、無神論は強固な哲学的・論理的基盤を持つようになりました。
そしてそれは、もはや一部の哲学者の間だけでなく、一般大衆の知性と心情に浸透し、今や大人から子供に至るまで、世界中の多くの人々の世界観や人生観を形成してきたのです。
人が無神論をとるか、あるいは創造者なる神を信じるかという問題は、その人の世界観・人生観に関わる重要な問題であり、ゆくゆくはその人の人生を大きく左右します。
「人生は無意味だ」「世界はばかげている」という考えになってしまうのは、そもそもその考えの出発点となったものが間違っているからです。無神論からは、何ら良いものは出てきません。
神はおられます。天地万物を造られた神を信じ、神と共に生き始めるならば、人生の意味や目的は自然に開かれてきます。人生の目的を知って生きるのと、そうでないのとでは、天と地ほどの開きがあります。
神はあなたを愛しておられます。神の愛の中にいない人は、誰一人いません。神はすべての人が真理を知り、幸福な人生を送ることを願っておられます。しかし、神がお与えになる幸福を享受するのを妨げているものがあります。それは神を否定する心です。神を認めない心こそ、じつは人間最大の罪なのです。
>明治大正そして敗戦がこのような日本人を生みだし、挙句の果て「あなたは神を信じますか」などという怪しい言葉で挙式する若者が氾濫するにいたる。久保有政の言い方をそのまま使えば、アメリカの価値観は、もはや一部のアメリカかぶれの間だけでなく一般大衆に浸透し、今や大人から子供に至るまで日本中の人々のなかにまで入り込んできた。アメリカの大衆の持つ前近代性にはやるせなさを感じるが、それを頑なに信じている人たちの被植民地的な感覚には悲しみすら覚えてしまう。