誤解のないように言えば、愛国心自体を危険視しているのではない。危険視されるべきなのは、「愛国心は強制できる。しかも一定の儀礼を愛国心の踏み絵として強制することによって、それを植えつけることができる」とする異端審問官的な他者支配欲であり、「日本人ならみな日本を愛するのが当然だ、しかも日の丸に敬礼し、君が代を斉唱し、靖国の英霊への国家的慰霊の受容という同じ仕方によって、日本という国への愛を表現するのが当然だ」という同質的社会的不寛容の蔓延である。国を愛するとは何をいかなる仕方で愛することなのかについて、視点を異にする人々が相互批判と相互啓発を通じて連帯するような関係性の欠損。すなわち、異質な他者との共生を受け入れられない(関係の貧困)から、我々が未だ脱却できていないことこそが、危険視されるべきなのである。
現代の貧困
by 井上達夫
岩波現代文庫版へのあとがき
(2011年1月 厳冬に未来を思ふ身震ひつつ)