「普遍的なものなんて、この世にない」と言う人に先ず、本書を読んでもらいたいと思います。別に論駁したいからではないのです。なぜなら、その必要はないからです。この信念は「いかなる普遍的命題も真ではありえない」という最も傲慢な種類の普遍的命題に他ならず、それが真だとすると、まさにそのことによって偽になってしまいます。私が論駁するまでもなく、このような信念は自己論駁的なのです。それにもかかわらず、なぜ、最も洗練された知識人たちをも含めて、現代人の間にこのような倒錯した信念が瀰漫しているのか。私が問いかけたいのは、このことです。
(「普遍の再生」の) 著者からのメッセージ
by 井上達夫
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0246200/top.html
「普遍的なものなんて,この世にない」と言う人に先ず,本書を読んでもらいたいと思います.別に論駁したいからではないのです.なぜなら,その必要はないからです.この信念は「いかなる普遍的命題も真ではありえない」という最も傲慢な種類の普遍的命題に他ならず,それが真だとすると,まさにそのことによって偽になってしまいます.私が論駁するまでもなく,このような信念は自己論駁的なのです.それにもかかわらず,なぜ,最も洗練された知識人たちをも含めて,現代人の間にこのような倒錯した信念が瀰漫しているのか.私が問いかけたいのは,このことです.
様々な知的誤謬が要因となっていることは確かで,本書で私はそのことの指摘も怠っていないつもりです.しかし,根本的には,切ないまでの自己肯定への欲求が私たちの心の内奥に渦巻いているからだと思います.それはまた,現代に生きる私たちが,それぞれの仕方で自尊の基盤を深く傷つけられているからでしょう.しかし,この自己肯定への欲望が自己を超える普遍の否定と結びつくとき,それは他者を否定し,他者を支配する欲望に転化してしまいます.自己の深いルサンチマンを他者に投影して批判しながら,それに突き動かされ,「力への意志」に走って狂ったニーチェの痛ましい姿は,現代精神の苦悶を先取りしているような気がします.
本書において私は,戦争責任を否定する国民的自己愛の罠,自己を普遍と等置する覇権国家の独善,欧米中心主義とアジア的価値論に通底するオリエンタリズムというアイデンティティ両極化機構の罠,普遍を抑圧の合理化として斥ける様々な現代思想の陥穽などの批判的検討を通じて,自己を超えた普遍を否定することで自己を肯定しようとする欲動の問題性を明らかにしようと努めました.そして,覇権・同化・差別などを隠蔽合理化するのではなく,逆にその根を掘り崩し,人々が自他の差異を公正に認知し包容するような多元的世界を切り開く「普遍への企て」のあり方を示そうと試みました.読者に私の議論に対する忌憚なき批判を望むのは言うまでもありません.しかし,それと同時に,本書が読者自身の批判的自己省察のための触媒になることができれば幸いだと思っています.
(sk)
井上達夫は、
という。しかも、
というのだ。
こんな人と、論駁したくないもんだ。ところで、論駁ってなあに?
アメリカのキリスト教徒たちの、
というような考え方のコピーなのだろが、神を信じない私たちに絶対的な真理だの、普遍的な真理だのということは無縁だ。
いつまでも、
と言っていればいい。
自分は正しく他人は間違っていると言い続け、人の考えを吸収できないその姿勢は、ドグマに凝り固まった人たち同じ。こういう人たちとは、一生、関係なく暮らしていきたい。