初恋

初恋って、いいものじゃないの? つらいとかじゃなくて、病気とか傷とかじゃなくて、もっと暖かくて、もっと大きくて、ずっといいものだと思うけど。
いいもの?
そう、いいもの。初恋って、不思議なのよね。相手はどこにいても、どんなときにも浮かんでくる。林檎の皮をむいているとき、お湯が沸くのを待っているとき、停留所でバスを待っているとき、お茶を飲んでいるとき。そんなときに、ふって浮かんでくる。
そして消える。
ううん、消えない。お茶を飲んでいるときに浮かんで来たら、お茶を前にゆっくりと目を閉じるの。すると、瞼の裏に涙を感じて、あの人の顔がぼやけてきて、ああ幸せだなあって。
顔がぼやけてきて、幸せ?
ええ、そう。
初恋っていうと、不安しか思い出せないのだけれど。初恋のとき、不安ってなかったの?
不安?
うん。
この幸せがなくなったらどうしようって、そういうの?
そう、そういう不安。
そうね、あの人がいなくなったらって、私を残して行ってしまったらって、そういう不安はあったかも。
ねえ、それって、つらくなかった?
あの頃は、恋がいつかは終わるものだって、そんなことも知らなかったから。恋はいつまでも続くものだって思っていたから、不安はそんなには大きくならなかった。あなたは?
不安? 大きかったよ。もっとも僕の初恋ってぜんぶ僕の妄想かもしれなくて。だからそこに恋があったかどうかは定かではないんだけれど、でもなくなるのはとっても不安だったんだ。はじめからないものが、なくなるというのも変な話だけどね。でも、いつも不安だった。
ふーん。幸せっていう感じはなかったの?
不安ばかりだったかな。なくなるかもっていう不安。そしてなくしてからのつらさ。いずれにしても、幸せからはほど遠い感じがする。
そうなの? 私はね、うーん、不安とかつらさとかがあったとしても、それを含めての幸せだったから。それも含めて初恋っていいなって思ってたから。

2 thoughts on “初恋

  1. shinichi Post author

    あなたの初恋って、いつのこと?
    さあ。
    さあって、覚えてないの? 初恋を覚えていないなんて、信じられない。
    信じられないって言われてもね。サッカーボールをはじめて蹴ったときのことなら覚えているけど、初恋のことなんて、なんにも覚えてないよ。
    初恋は誰の心のなかにもずっと残っていて、決して消えることがないって、そんなようなことがどこかに書いてあったけど、そうでない人もいるのね。
    まあ、そんなことは、どうでもいいじゃないか。で、君の初恋は、いつ?
    私の初恋?
    うん。
    秘密。
    なんだ、それ。じゃあ、なんで僕の初恋がいつだったかなんて聞いたの?
    知りたかったから。
    なんで知りたかったの?
    うーん。初恋って、いいじゃない。甘くて、せつなくて。なんにも意識しなくて、計算もなくて。わかっていないのに、わかったような気がして、なにもできないのに、できるような気がして。そしてすべてが許されて。
    それって、いいことのなの?
    なんで? いいに決まってるじゃない。ただ一度だけっていう感じ。心から恋してる感じ。それが初恋じゃない。初恋の後、どんなに素敵な恋をしても、それは初恋ほど素敵ではない。初恋って、やっぱりいちばんの恋だわ。
    そうだったらいいんだけどね。
    えっ、どうしてそんなこと言うの?
    初恋って、恋っていうより、病気みたいなものだって思うんだ。
    初恋のどこが病気みたいだっていうの?
    初恋も病気も、罹るときに気がつかないでしょ? そして両方とも、治すのが難しい。
    そう言われれば、似ているかもね。
    治る時の悪夢も、どちらも同じ。初恋が終わるときの悪夢は、治療のときの悪夢に似ていて、とってもつらい。
    でも、そもそも初恋って、治さなければいけないものなの?
    うん、初恋の途中で負う傷は、治さなければいけないんじゃないかな
    初恋で傷を負う人がいるの?
    えっ? 傷を負わない人っているの? 初恋の傷は、未熟なための傷。すべて自分のせい。すべて自分が悪い。癒えない傷はないっていうけれど、初恋の傷はなかなか癒えない。初恋はやっぱりつらいんじゃないかな。
    初恋がつらいって、わからないな。初恋って、いいものじゃないの? つらいとかじゃなくて、病気とか傷とかじゃなくて、もっと暖かくて、もっと大きくて、ずっといいものだと思うけど。
    いいもの?
    そう、いいもの。初恋って、不思議なのよね。相手はどこにいても、どんなときにも浮かんでくる。林檎の皮をむいているとき、お湯が沸くのを待っているとき、停留所でバスを待っているとき、お茶を飲んでいるとき。そんなときに、ふって浮かんでくる。
    そして消える。
    ううん、消えない。お茶を飲んでいるときに浮かんで来たら、お茶を前にゆっくりと目を閉じるの。すると、瞼の裏に涙を感じて、あの人の顔がぼやけてきて、ああ幸せだなあって。
    顔がぼやけてきて、幸せ?
    ええ、そう。
    初恋っていうと、不安しか思い出せないのだけれど。初恋のとき、不安ってなかったの?
    不安?
    うん。
    この幸せがなくなったらどうしようって、そういうの?
    そう、そういう不安。
    そうね、あの人がいなくなったらって、私を残して行ってしまったらって、そういう不安はあったかも。
    ねえ、それって、つらくなかった?
    あの頃は、恋がいつかは終わるものだって、そんなことも知らなかったから。恋はいつまでも続くものだって思っていたから、不安はそんなには大きくならなかった。あなたは?
    不安? 大きかったよ。もっとも僕の初恋ってぜんぶ僕の妄想かもしれなくて。だからそこに恋があったかどうかは定かではないんだけれど、でもなくなるのはとっても不安だったんだ。はじめからないものが、なくなるというのも変な話だけどね。でも、いつも不安だった。
    ふーん。幸せっていう感じはなかったの?
    不安ばかりだったかな。なくなるかもっていう不安。そしてなくしてからのつらさ。いずれにしても、幸せからはほど遠い感じがする。
    そうなの? 私はね、うーん、不安とかつらさとかがあったとしても、それを含めての幸せだったから。それも含めて初恋っていいなって思ってたから。
    すごいな。君の初恋、ほんとうによかったんだね。
    ええ、とてもよかったわ。あなたの初恋はよくなかったの?
    どうなんだろう。つらかったとは言えるけど、よかったって言えるんだろうか。うーん。わからないな。
    初恋、よかったけれど、うまくいかなかった。突然、終わってしまったの。
    それで? つらかったでしょ?
    つらかったけど、よかったなって。今でも初恋はいい思い出よ。
    終わらなければよかったのにって、思わなかった?
    初恋がたったひとつの愛になる人生って、すごくいいかもしれない。人を心から愛するのは初恋のときだけだからね。でも、そんな人生は、ごめんだわ。
    なんで?
    悲しさやつらさを知らないなんて、もったいないじゃない。悲しみを知らなければ喜びはわからないし、つらいことを経験していなければ普通の幸せがいいなんて思えないだろうし。初恋がうまくいって、それが死ぬまで続くなんて、ドラマがなさすぎだわ。
    ドラマがなくてはいけないの?
    そういうわけじゃないけど、なにもかもうまくいった人に魅力がないように、なにもかもうまくいった初恋なんてろくなもんじゃないって、そう思うの。
    うまくいかない初恋のほうがいいって、そういうこと?
    そうじゃないわ。でも、なにもかもわかってしまったら、つまんないでしょ?
    つまんないもなにも、恋って、わからないことばかり。
    わからないから、いいんじゃない?
    いいのかなあ。恋って、いつまでたっても、わからないことばかり。だって説明できることが、なにもないんだもの。
    説明することがなにもないのって、最高じゃない。私、好きだわ。そういう恋って。
    説明できないから、つらいっていうこともあるんだよ。初恋がつらいのは、説明できないからかもしれないね。あっ、それから、さっきのうまくいった初恋なんてっていう話なんだけど、本当は少しわかる気がするんだ。
    わかる?
    うん。初恋がうまくいって人生がうまくいかないというの、よくあると思うんだ。初恋は破れるほうがいいっていう人もいるぐらいだしね。
    なんか、その言い方、いやね。
    どこが?
    なんとなく。あのね、初恋って、片思いのことが多いでしょ?
    まあ、そうなのかな。
    片思いだとね、初恋のほとんどは恋しているほうにあるの。好かれているほうにはなんにもないって、そんなことも多いの。
    なんにもない?
    そう。せつないけれど、恋しているほうが思っているほどには、好かれているほうは思っていない。だから記憶もない。
    ほらね。やっぱり初恋はつらい。そうだろ。
    それが違うのよ。恋って、恋しているほうが幸せなの。どきどきするし、夢のなかにいる感じだし。それなのに、好かれているほうはどきどきしないし、面白いことはなんにもない。
    初恋がいいって、片思いの初恋でもいいの?
    ええ、もちろん。
    そんな馬鹿な。
    じゃああなたは、どう思うの?
    初恋は初恋。結婚は結婚。失望は失望。違う?
    なにその言い方。
    だって、結局はそれだけのことじゃない。少しの愚かさと、未知への好奇心と、セックスへの憧れと、そんなものを混ぜ合わせたら初恋になる。
    まさか。初恋って、いつも特別。いつまでも私のなかにあって、いつまでも輝いている。
    忘れてしまえばいいのに。
    初恋って、これが最後の恋だと思うでしょ。それほど強烈で、それほど忘れられないものじゃない?
    そして最後の恋は、これこそが初恋だと思う。そんなことを言うんでしょ?
    あら、よくわかるわね。そうなの、恋はすべて初恋なの。
    どんな恋も初恋?
    そう。相手が違えばすべてが違う。だからみんな初恋なの。
    そんな。
    本当よ。本当に毎回、初恋だと思うの。
    そうなんだ・・・

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