>加地大介

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  • 穴は存在するか
  • 穴は回転するか
  • 水と空気の境界は水なのか空気なのか
  • 物どうしが触れ合うことは本当に可能なのか

3 thoughts on “>加地大介

  1. s.A

    >『穴と境界:存在論的探究』 加地大介

    窪み、トンネル、空洞などの穴や点、線、表面などの境界という私たちの周囲にありふれている日常的な対象についての存在論的考察を展開しながら、存在論を中核とした分析形而上学の分野へと読者を導くことをひとつの目的としている点では、前著と共通しています。穴と境界は、存在と無、「もの」と「こと」、物質と非物質、抽象と具体という各対照の狭間に位置する微妙な存在論的性格を持つという点で、実は哲学的に非常に興味深い対象なのです。本書では、「穴は存在するか」「穴は回転するか」「水と空気の境界は水なのか空気なのか」「物どうしが触れ合うことは本当に可能なのか」などの一見些細に思われる諸々の問いを徹底的に突き詰めていくことが、同時にその背後に控える深く大きな形而上学的諸問題の考察ともなり得ることを示そうと試みました。また、私が特に大学院での授業「情報哲学」「情報論理学研究基礎」で採り上げている、フォーマル・オントロジーの情報工学的応用についての解説なども含まれています。

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  2. s.A

    >さて、私はいま、文部科学省のプログラム「海外先進研究実践支援」の助成を受けて、ニューヨーク大学(NYU)の哲学科に滞在しています。NYUの哲学科には、分析哲学の世界におけるスーパースターたちが多数所属しており、その研究水準の高さは全米一あるいは世界一とも言われています。そうした哲学科をNYUは色々な形で優先的にバックアップしており、例えばその建物ひとつを取っても、スティーブン・ホールという世界的に有名な建築家によって内装をデザインされた、とても洗練された空間の中にセミナー室や研究室が配されています。名は体を表すと言うべきか、「ホール」は、「穴」と光の現象的特性を活用する哲学的建築家として知られており、哲学科の内装もウィトゲンシュタインという哲学者の色彩論をモチーフにしているそうで、無数の不定形の穴があいた白い壁に豊富な内外光が多様に絡み合うようなデザインとなっています。

    ニューヨーク市内には、他にもニューヨーク市立大学とコロンビア大学の優れた哲学科があり、全米や英国の各地から刺激的な研究者を招いて各哲学科で頻繁に開催されるワークショップ、コロキアム、公開レクチャーや各自のセミナーなどに研究者、学生たちが比較的自由に相互参加しながら、高度な議論を交わしています。意外かもしれませんが、色々な分野で時代の最先端を行くマンハッタンというアーバン・シティは、街の各所で濃密な哲学的交流が日夜繰り広げられている、最高のフィロソフィカル・シティでもあるのです。

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  3. s.A

    >穴には輪郭がある。
    形がある。

    穴の境界は穴の一部ではない。
    3未満の実数などと同じで、限界はあるけど境界は含まない。

    穴の部分は同一性を持たない。
    穴が移動したとき、穴のある一部分がどこに移動したかはわからない。

    穴とは、ものを充填できるという機能を持った形である。

    壁の穴とは壁の欠如であり無のはずなのに、穴があるというのはなぜか。

    なにもないのが穴なのに、穴があるというのはおかしくないか?

    穴そのものが占める領域を移動させることはできるが、穴の一部分に固定点を置くことができないため回転させることはできない。

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