秀吉は、卑賤に生れ、逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮らす年時などは持たなかったために、常に、接する者から必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていた。
だから、彼が学んだ人は、ひとり信長ばかりでない。どんな凡下な者でも、つまらなそうな人間からでも、彼は、その者から、自分より勝る何事かを見出して、そしてそれをわがものとして来た。
――我れ以外みな我が師也。
と、しているのだった。
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「お客」
「はい」
「宮本武蔵と申されたの」
「左様でござります」
「兵法は、誰に学ばれたか」
「師はありませぬ。幼少から父無二斎について十手術を、後には、諸国の先輩をみな師として訪ね、天下の山川もみな師と存じて遍歴しておりまする」
「よいお心がけじゃ。――しかし、おん身は強すぎる、余りに強い」
誉められたと思って、若い武蔵は顔の血に恥じらいをふくんだ。
草思堂から
吉川英治記念館学芸員日誌
我以外皆我師也
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