唐木順三

私がいちばん書きたいと思い、また力をいれ、苦労したのは、道元を扱った「無常の形而上学」である。無常を観じ思って、道心を発し菩提を求めるという、普通のところから出発した道元が、ついに無常そのものを究め尽し、「無常仏性」にまで至ったそのことを私は書き尽くしたかった。無常を、ありきたりの無常感や無常観から解き放して、即ち心理や情緒や詠嘆から解き放して、まさに無常そのもの、もののリアリティにいたりつくした「無常の形而上学」を書きたかった。

2 thoughts on “唐木順三

  1. shinichi Post author


    中世の文学

    by 唐木順三


    身心脱落者の共同世界においては、無常ならぬ何物もない。一切は無常であるままに、それは法の起滅である。無常な時間が音もなく一切存在を透過している世界である。一切が無常であるというところでは、無常への詠嘆は意味をもちえない。無常ということすら意味をもたない。一切が白色である場合、白いということが意味をもちえないと同様である。無常がそういう場面でとらえられたとき、それを「仏道」という。少くとも道元の仏道とはそういうものであった。

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  2. shinichi Post author

    松岡正剛の千夜千冊

    85夜『中世の文学』唐木順三

    https://1000ya.isis.ne.jp/0085.html

     この本を読んでいない人と日本を語るのは遠慮したいものだ。最初に読みおわったときに、そんな気分になったことを憶えている。
     それほどに、本書からうけた衝撃は大きかった。あまりに大きくて、本書の思索の跡をそのまま引用しないで日本を語るにはどうすればいいか、ぼくはずっと病気に罹ったようなもので、その影響から脱出するのにたっぷり10年以上がかかってしまった。

     唐木順三は『井蛙抄』の挿話から、この一冊の思索を始めている。「文覚上人、西行をにくまれり」である。出家の身でありながら数寄に遊んだ西行についての文覚の印象を突端に置いて、以降、唐木は「数寄とは何か」という思索にふける。
     いったい数寄はディレッタンティズムなのかという問いが始まり、中世の初期では数寄が「外形を極微のところまで凝縮した栄華」だったことをつきとめる。それがしかし、長明で変わってくる。「数寄に対する執着にのみ頼ることが数寄」ということになっていく。ここで風雅を友とする数寄が生まれる。
     ついで数寄の背後にある「すさび」が問題になる。そこには「心理を離れた裸形の現実」がある。それは『徒然草』の思想でもある。裸形の現実を見つめると、そこには無常が見える。無が見える。そこで兼好は、数寄の心をいったん否定する。
     しかし、思索はそこにとどまらない。唐木の「すさび」はさらに「さび」にまで進む。「さびはすさびと同じ語源をもちながら、すきをも止揚する」。そこにあらわれるのが世阿弥である。世阿弥は数寄を「せぬ隙」にさえ見とどけた。
     ここから芭蕉へは一跳びである。唐木はそのことをしるして、序文をおえる。そして、このあとを、長明、兼好、世阿弥、道元、一休、芭蕉という順で、ゆっくりと日本の中世を紐解いていく。

     長明について、唐木は「類型」と「類型を脱する」の両方を思索する。そのため、定家の「有心」をたどり、好奇心が類型をつくりながらもそこを脱していく経過に目をとめる。
     しかし、長明はその経過をたどろうとはしなかった。長明はむしろ「数寄の最後」を最初から狙っていた。その「数寄の最後」が長明の発心なのである。最後が最初であった。唐木はそこまでを確認して、ついで兼好の生き方に入っていく。
     兼好を見ていくと、「数寄」が好みを積極化していくのに対して、「すさび」はよしなごとであってなぐさみであるように、そこに受動というものがはたらいていることがうかがえる。それが兼好の「つれづれ」だった。だからこそ「あぢなきすさび」という奇妙な感覚も兼好の言葉になっていく。どうもそこには「質の変化」というものを観照する目がはたらいている。
     『方丈記』や『平家物語』では、存在するもの、盛んなるもの、すなわち「有」が発想の中心にあった。それが『徒然草』では、存在するもの、有るもの、形あるもの、不動のものは、かえって「仮」である。兼好にとっては「変化の理を知らぬ人」は「愚なる人」なのである。
     これを唐木は「無有観」と見た。それは道元を先取りするものでもあった。

     世阿弥は、唐木の思索にとって「すさび」を「さび」にまで進めた人である。世阿弥によって、王朝の荒涼寂寞は中世の枯淡幽静になっていく。
     ここでは有心はあきらかな無心にまで進む。たとえば「せぬ隙」は態と態との厳密な間であり、「時分の花」とは芸能者が一定の時間の中でのみ感得できる緊張の開花である。ここから「見の能」「聞の能」の先の「心の能」が出てくる。この「心の能」に「寂々としたもの」と「冷え」があらわれる。これが世阿弥の「さび」だった。
     こうして道元の「道得」や「横超」が見えてくる。とくに唐木は道元が「梅華」「行持」「有時」の巻で展開した思索に目を注ぐ。そこにあらわれるのは「而今(にこん)」ということである。「いま」ということである。
     しかし、道元の而今は、古仏のすべてに出会うための而今なのである。そこには時間の横超がある。その重畳がある。これが道元の「現成」であり、「身心脱落」である。いわば同時契合なのだ。唐木はそこにライプニッツのモナドロジーを思う。そして、あらかじめ設定された予定調和の否定を思う。

     道元は数寄を捨てたが、一休は同じく禅者でありながら、その数寄をほいほいと弄んだ。
     しかし、唐木にはそのような一休がいささかわかりにくいらしい。一休は長明が依拠した庵を捨てたからである。そのあたりのわかりにくさが、本書のなかでも一休の章を甘いものにさせている。そこで唐木は、一休の二度にわたる自殺行に目を転んじようとする。そしてそこから一休以降の時代をおおう「風狂」「風流」を見る。『狂雲集』に分け入る。けれども、ここでは唐木はついに唐木らしくない。
     唐木がふたたび唐木らしい思索をとりもどすのは、やはり芭蕉においての風流の意味を解く姿にあるようだ。芭蕉の章は、ほかの唐木の著書と同様、渋い光に満ちている。唐木の思索はつねに芭蕉において結晶にとどいていく。
     唐木は芭蕉によって「象徴が生まれる場所」がどういうものであるかをときほぐす。「松のことは松に習い、竹のことは竹に習う」ということをあかす。そこに「さび」が立っていくところを見る。
     この最後の章で、唐木は次の主題を見出している。それは「無用」とは何か、「無常」とは何か、「無為」とは何か、ということだった。とくに連歌師・心敬への注目が、そのことを兆していた。


    参考 ¶ 唐木順三の著作は、本書と同じシリーズである筑摩叢書の次の本がまことに滋味深い。いずれも唐木が本書ののちに深めていったものである。執筆順にいえば、『千利休』『無用者の系譜』『無常』、そして『日本人の心の系譜』というふうになる。とくに『無常』が圧巻である。

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