在原元方

年のうちに春は来にけり
ひとゝせをこぞとやいはむことしとやいはむ

One thought on “在原元方

  1. shinichi Post author

    立春はなぜ寒い

    小倉山荘

    一定しなかった立春の日

    立春は毎年二月の四日、もしくは五日。
    そのたび「春は名のみの…」と
    『早春賦』の一節を思い出す方も多いことでしょう。
    二月初旬はまだ寒さの盛りだからです。

    立春を含む二十四節気は二千数百年前に中国の華北、
    黄河流域の気候をもとに定められたものでした。
    かの地の春は日本より一か月ほど早いのだそうで、
    もともと実情に合っていなかったのです。

    旧暦を用いていた時代の立春は元日前後でした。
    当時の一年は月の満ち欠けにもとづく三百五十四日で、
    暦と季節とのずれを調整するため、十九年に七度の
    閏月(うるうづき=十三番目の月)を置いていました。
    (※旧バックナンバー【104/105】参照)

    その結果立春の日は毎年異なり、早ければ十二月十五日、
    遅ければ一月十五日になることもありました。

    年のうちに春は来にけり
    ひとゝせをこぞとやいはむことしとやいはむ

    (古今集 春 在原元方

    年が替わらないうちに春が来た(立春になった)
    この一年(ひととせ)の残りを去年というべきか 今年というべきか

    年内の立春はめずらしくないことだったのに
    元方(もとかた)が悩むような歌を詠んだのは、
    「立春年初」を理想とする考え方があったからだそうです。

    毎年必ず立春が元日になるのが望ましいのに、
    平均すれば立春が元日になるという曖昧さに
    釈然としない思いがあったのでしょう。

    立春歌の定番

    春立つときゝつるからに 春日山きえあへぬ雪の花とみゆらん
    (後撰和歌集 春 凡河内躬恒)

    立春だと聞いたから 春日山の消えきらない雪が
    花に見えるのだろうな

    春立つといふばかりにや みよし野の山もかすみて今朝は見ゆらん
    (拾遺和歌集 春 壬生忠岑)

    立春になったというだけで 今朝は
    あの(雪の)吉野山も霞がかかって見えるのだろう

    凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)と
    壬生忠岑(みぶのただみね 三十)の立春の歌です。
    躬恒の歌では春日山の雪がまだ残っています。
    忠岑の吉野山は通常雪の山として詠まれる山でした。
    霞の向こうは雪が残っていたかもしれず、どちらも寒いのです。

    立春の歌は寒さを詠んだもの、春の喜びを詠んだもののほかに、
    祝賀の歌も多くあります。立春が新年の歌会の日に
    選ばれることが多かったのと、祝いの屏風に立春が
    描かれることがあったからです。

    今日とくる氷にかへてむすぶらし 千歳の春にあはむ契りを
    (後拾遺和歌集 賀 源順)

    今日は氷が解ける立春ですが むしろ結ぶようですね
    (わが君が)千年の春に会うであろう約束を

    対語「とく」と「むすぶ」を効果的に用いた
    源順(みなもとのしたごう)の一首。
    どこにも立春とは書いてありませんが、
    立春の日には氷が解けるのです。

    袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらん
    (古今和歌集 春 紀貫之)

    袖を濡らして掬(すく)った水が凍っているのを
    立春の今日の風が解かしていることだろう

    根拠は貫之(つらゆき )のこの有名な歌にあります。
    立春には氷が解け、霞が立つ…。
    先人の影響でそんな内容の歌が大量生産されて定番化し、
    その数たるや枚挙にいとまがないほどです。
    イメージとしての「立春」を重んじた結果なのでしょう。

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