神道には、キリストや釈迦のようなカリスマ的な存在がありません。理や智で説明するのではなく、海、山、太陽、月、風や汐の満ち引きに神を感じ、私たちはその自然とひとつなのだという教えだからです。経典もなく偶像もない。その真髄はといえば、太陽の道、つまりお天道さまの示す道のとおりにまっすぐに歩むこと以外にありません。一日が日の出とともに始まり、終り、同じように人も生まれて死ぬ。太陽が草木を育むように、人は子孫を残す。この変わらず行われている尊い日常を、素直な心で感謝して生きることが、日本人ならではの力、道なのです。
日出る国に生まれて
by 多 忠記、多神社(おおじんじゃ; 多坐弥志理都比古神社)神官
婦人画報 2012年1月号
(sk)
多忠記宮司は太安萬侶から数えて51代目。
血は2代目が1/2、3代目が1/4、4代目が1/8、n代目が1/2(n-1)。
だから多忠記宮司のなかに流れる太安萬侶の血は1/250。
これは1,125,899,906,842,620分の1。約千兆分の1。
血筋とはそういうものだが、伝わったものの重みは、そんなこととは関係なく、大きい。
このような方のおかげで、私たちは、明治以降の天皇神道が異形だと知る。
そして、神道が好きになる。
日本中に様々な神社がある日本。悪くない。
多神社。
古族のひとつである多族。
そのひとり、多忠記宮司。
多神社は小さな丘の上に作られた。本殿の後方に「神武塚」と呼ばれる小丘があり、古代の祭祀場もしくは古墳と考えられている。
太陽は一番大切な神。その神が通る線が東から西に伸びる。本殿は春日造で東西に1間社が4棟並んでいる。東には三輪山を、西には二上山を望む。三輪山から日が昇り、二上山に日が沈む。
多神社の東西南北には鳥居と称する小字こあざがそれぞれ神社から800m~900mの距離にある。
奈良盆地のほぼ中央に鎮座する。祭神は神八井耳命、初代・神武天皇こと神日本磐余彦命他二座。
神八井耳命は神武天皇の第二皇子で、後に綏靖天皇となる弟とともに第一皇子による暗殺に立ち向かった。その後、弟に皇位を譲って自らは祭祀者になったと『古事記』『日本書紀』にある。皇室に縁深い多氏はこの神八井耳命の末。