最前便風候てそと申越候へ共定而相届間敷候。今度伴天連等能自分と思候て種々様々の宝物を山と積弥一宗繁盛廻計略既後戸・平戸・長崎なとゝてなんばん舟付毎ニ充満シテ其国の国王をかたふけ諸宗を我邪法ニ引入、それのミならす日本仁を数百男女によらず黒舟へかい取、手足ニ鉄のくさりを付舟底へ追入、地獄の呵責ニもすくれ其上牛馬をかい取生なから皮をはぎ坊主も弟子も手つから食し親子・兄弟も無礼儀上、今世より畜生道有様目前の様ニ相聞候。見るを見まねニ其近所の日本仁何も其姿を学、子をうり親をうり妻女をうり候由つく/\被及聞召、右之一宗若御許容あらハ、惣日本外道の法ニ可成事案中候。然者仏法も王法も可相捨事を嘆被思召忝も大慈大悲被回御思慮候て既ニ伴天連の坊主本道追払の由被仰出候。就其ては高山右近亮元来被宗旨を其身信曔のミならす、主分領の僧俗理不尽ニ右之宗門ニなし候事被聞召候て俗弟子ノ手かたニ彼右近亮御分国被成御払候。弥仏法・王法繁盛天下静謐の基不可過之候
九州御動座記
by 大村由巳
(sk)
当時の日本人が「伴天連の坊主たち」の本性を見ることができたのは、不幸中の幸いだったと思わざるをえない。
船の動力としての人間を買い取ることに何の疑問を持つことのなかった当時のヨーロッパ人の野蛮さは、想像に絶する。