トリエステには地域精神保健センターが5ヶ所設置されています。24時間オープンの5つのセンターには、合計で36の個室が用意されています。鍵を使って閉じ込めるのはもってのほか。自宅に一人でおかないほうがよい時、この個室のベッドを利用します。台所に洗濯場にリビングなどがあり、ミシン作業をやってくれる職員もおり、下宿屋の雰囲気に近いといいます。
センターの他に一ヶ所精神科診察治療サービス(SPDC)と呼ばれる8床の入院施設があります。精神科救急病棟です。これが24時間精神救急の受け皿として機能しています。ここには3人の医師と16人の看護師が勤務していますが、平日夜間と休日は統括する精神保健局のすべての医師が交代で担当します。
注目すべきは、トリエステ全体の精神科関係のベッドの少なさです。センター(36床)、SPDC(8床)、大学クリニック(11床: 入院用・デイホスピタル用)を足して、全部で54床です。かつて1,200床を抱えていたマニコミオ(精神病院)が消滅して、それに代わる病床がたった54床にまで減ったのです。これは国際指標の人口1万あたりの数でいえば「万対2.2」。恐らく精神科ベッドが世界で一番少ない都市でしょう。
精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本
by 大熊 一夫
精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本 [著]大熊一夫
評・柄谷行人(評論家)
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704032.html
著者は元新聞記者で、1970年にアルコール依存症を装って精神病院の鉄格子の中に入り、その体験を朝日新聞に「ルポ・精神病棟」として連載した。それは地獄のような世界であった。その後も著者は、この“地獄”をなくすにはどうすればよいかを模索してきた。いろんな改革案に出合ったが、それらはあくまで精神病棟の存在を前提にしたものだ。80年代に、著者は画期的な方法を知る。それは精神病棟そのものを廃止し、そのかわりに、地域精神保健センターを作るというものである。
これは、イタリアの精神科医フランコ・バザーリアが60年代に始めた運動である。精神病棟の廃止に対して、病人が凶暴になったらどうするのか、という反論がある。しかし、それは概して、精神病院に強制的に入れられたり拘禁服を着せられたりする結果、生じる反応である。原因と結果がとりちがえられている。また、精神病院がなければ病人は治癒しないのではないか、という反論がある。しかし、精神病院でも病人が治癒するわけではない。大切なのは、たとえ病気がなおらなくても、彼らが一般社会で生きていける環境を作りだすことである。バザーリアが始めた運動は、それを実現した。
地域精神保健システムは、イタリアだけでなく、60年代に世界的に広がった傾向であった。たとえば、68年にイギリスの医師デービッド・クラークが世界保健機関(WHO)から委嘱されて来日し、精神病棟を減らすように勧告している。日本側はこれを無視した。その結果、日本は現在、経済的先進国の中で人口当たりの精神病棟が格段に多い国となった。最近は「地域精神保健の時代到来」と叫ばれているが、本質的には何も変わっていない。
一方、イタリアでは、20世紀の末には保健省管轄のすべての精神病院が閉じられた。この本の表題は、日本とイタリアの違いがいかにして生じたかを示すものである。しかし、本書には、日本にも、数少ないながら、地域精神保健センターの試みが各地でなされていることが紹介されている。
J’ai, pour ma part, été imrnpssioenée par les oeuvres végétales. Il y a quelques années, un crocodile de feuilles et aux yeux jaunes trônait dans les serres. Un couple de hérons de métal, dans un bassin d’eau des serres, m’avait aussi touché.
68年世界保健機関(WHO)から日本は、精神病棟を減らすように勧告されています。日本側はこれを無視しました。その結果、日本は現在、経済的先進国の中で人口当たりの精神病棟が格段に多い国です。最近は「地域精神保健の時代到来」と呼ばれていますが、本質的には精神病院の隔離収容体質と世界でも異常に多い薬剤の多剤多量処方は変わっていません。
イタリアでもそうであったように、日本でも一番問題なのは、精神障害者が危険で怖い存在というイメージなのです。そして精神病にかかった患者は一ヶ所に閉じ込めておけという安易な忌避観念なのです。それに現在にして尚、精神病院は牧畜業者のような感覚の病院が多数あることです。
さらに1958年の次官通達によって、日本の精神病院は内科や外科の三分の一、つまり入院患者48人に医師1人でかまわず、看護師も他科の三分の二でかまわないとするおふれを出したために、濫造された精神病院がまだまだ残っています。
積読よみ崩し読書日記
精神病院を捨てたイタリア捨てない日本@大熊一夫
http://booknote.sblo.jp/article/36507105.html
アモーレと労働法
大内伸哉が書く労働法をめぐる雑感
精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本
http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-cc31.html
大熊一夫『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)を読みました。以前に,イタリア映画「人生,ここにあり!」を,このブログでも紹介しましたが,その映画で,イタリアの精神障害者が,精神病院から出て,協同組合で仕事をしながら一般人と同様の社会生活を行おうとする試みは,1978年に制定されたバザーリア法により,精神病院が廃止されたから可能となったものです。
この法律は,その制定に中心的な役割を果たしたFranco Basagliaの名を冠してバザーリア法と呼ばれているのです。正式な名称は,1978年5月13日法律180号(Legge 13 maggio 1978, n. 180)です。1970年代の革新的な雰囲気の中で,精神病院を廃止するという世界初の試みがイタリアで行われたわけです。
本書は,日本のジャーナリストが,日本における精神病院での患者への人権侵害などのスキャンダラスな事件が起きるなかで,どうしてイタリアでは精神病院を廃止することができたのかを追っていくものです。全体の構成は,必ずしも論理的に流れているわけではなく,読みやすいものではないのですが,各章の内容は,事実を追っていったり,インタビューをふんだんに紹介したりなど,ジャーナリストならではのものと思いました。
特に感心したのは,イタリアに関する記述が正確なことです。原語表記,訳をはじめとして,著者が相当のイタリア語の力をもっているか,サポート陣によい人材を得たかはわかりませんが,安心して読めるものでした。日本人がイタリアのことを書いたときには,不正確な部分が多々あって残念なことが多いのですが,この本では,そういうことはありませんでした。当時の歴史的な背景に言及しながら,バザーリア法の制定過程をみていくところは,たいへん勉強になりました。
精神障害者は犯罪者予備軍という見方は,日本だけでなく,イタリアでもあるようです。しかし,精神障害者だから犯罪を犯しやすいということではなく,むしろ彼ら,彼女らを受容する社会側の意識が犯罪を誘発するのではないか,という問題提起が,この本でも,上記の映画でもなされています。私は,この問題の専門家ではないので,無責任なことは言えません。ただ率直に思うのは,日本社会において,精神障害者への偏見を根絶するのは容易ではないように思います。さすがに座敷牢のようなものはなくなったでしょうが,そういうものを必要と考えてきた社会風土は何年経っても容易には変わらないでしょう。
しかし,障害者の人権というものへの意識が高まり,ノーマライゼーションの重要性が認識されるようになるにつれ,精神障害者を社会から隔離するという考え方は,徐々に時代後れとなりつつあるのかもしれません。適切な治療と受入体制さえあれば,精神障害者の一般社会への統合やノーマライゼーションは可能という本書のメッセージは,これを重いものとして受けとめなければならないでしょう。
イタリアでは心神喪失の状態で犯罪を犯した精神病者・知的障害者はどうなるのですか?
>イタリアでは心神喪失の状態で犯罪を犯した精神病者・知的障害者はどうなるのですか?
衡平責任という考え方を中心にしてきたイタリア、フランスなどと、過失責任という考え方を中心にしてきた日本、中国などでは、なにからなにまで違いすぎて、比較するのは容易ではありません。
死刑は人権に反するからと言って死刑廃止に動いてきた国と、家族の気持ちを考えると極刑はやむをえないという国とで、精神病者・知的障害者が犯した犯罪に対しての態度や理解が同じはずもなく、それは法律がどうこういう以前の、みんなの意識がどうかということではないでしょうか。
まともな保険制度も公的救済制度もないなかで、そして保護責任者や家族などの責任があいまいななかで、個人だけに責任を負わせるのは、あまりではないか。イタリア人ならそう言うでしょうね。
社会的な状況を考えないで、現象的なことだけで「犯罪を犯した精神病者・知的障害者」を考えても、仕方がないと思います。
。。。と、私にはそんなことしか書けません。具体的なことは、大熊一夫先生のような方に直接質問してください。
九島伸一
Niech ta &#YK82;MARZ2CIELS2A ÅAJBA” nigdy nie zatonie. Ci co niÄ… sterujÄ… niech nigdy nie opuszczajÄ… zaÅ‚ogi. Kapitanie Tomaszu! Ta Å‚ajba w POTĘŻNÄ„ ARKĘ WIELKICH SERC SIĘ ZAMIENIA ile na tej ARCE DzieciÄ™cych Serduszek? Zarzucajcie swoje sieci Kapitanie Tomaszu i wyÅ‚awiajcie ludzi do pomocy! AHOJ!