21世紀の中国報道のメディア・フレーム分析の中で代表的なものが、高井潔司による分析である。高井は日本国内の新聞報道について、その報道には一定のフレームが存在すると指摘した。1989年の天安門事件を分岐点として、中国の前向きで積極的な側面に焦点を当てる「日中友好フレーム」から、人権・民主主義・市場経済という視点から中国を批判する「普遍的価値フレーム」へと大きく転換してきた。「普遍的価値フレーム」に基づく報道は今日も続いており、中国社会が抱える様々な矛盾を指摘し「異質な国」「特異な国」として批判的に報道する傾向があるという。
高井の提唱する「普遍的価値フレーム」における「普遍的価値」とは、人権・民主主義・市場経済という原理を指す。この三つの原理は、東西冷戦の終結以来、西側主導のグローバリゼーションにおいて国際社会に共有されるべき「普遍的価値」として押し広められてきた。また高井は「フレーム」について「報道にあたっての基本的な姿勢、いわば報道の視点」であり、メディアが現実について伝える際、大きな枠組みとしてそれぞれの時代の「フレーム」が機能していると説明している。フレームは本来、取材環境や事実報道によって変化するものの、「普遍的価値フレーム」が一層強化されてきたということが中国報道の特色であるという。
なぜ日本人の中国観は不寛容なのか
―朝日新聞の社説分析を通して―
by 太田原奈都乃
https://keiolaw.org/wp/wp-content/uploads/2019/06/p057.pdf
高井潔司
21世紀の中国報道のメディア・フレーム分析の中で代表的なものが、高井潔司による分析である。高井は日本国内の新聞報道について、その報道には一定のフレームが存在すると指摘した。1989年の天安門事件を分岐点として、中国の前向きで積極的な側面に焦点を当てる「日中友好フレーム」から、人権・民主主義・市場経済という視点から中国を批判する「普遍的価値フレーム」へと大きく転換してきた。「普遍的価値フレーム」に基づく報道は今日も続いており、中国社会が抱える様々な矛盾を指摘し「異質な国」「特異な国」として批判的に報道する傾向があるという(高井 2016)。
高井の提唱する「普遍的価値フレーム」における「普遍的価値」とは、人権・民主主義・市場経済という原理を指す。この三つの原理は、東西冷戦の終結以来、西側主導のグローバリゼーションにおいて国際社会に共有されるべき「普遍的価値」として押し広められてきた(高井 2016:312)。また高井は「フレーム」について「報道にあたっての基本的な姿勢、いわば報道の視点」であり、メディアが現実について伝える際、大きな枠組みとしてそれぞれの時代の「フレーム」が機能していると説明している。フレームは本来、取材環境や事実報道によって変化するものの、「普遍的価値フレーム」が一層強化されてきたということが中国報道の特色であるという(高井 2012:8 )。
「普遍的価値フレーム」の契機となったのは1989年の天安門事件である。政治に不満を持つ民衆の運動を軍の武力をもって鎮圧した中国政府を、国際社会は強く非難した。この後国際社会は人権・民主主義・市場経済という「普遍的価値」にそぐわない中国に対して、民主化の遅れや人権侵害、環境汚染や軍事力の強化などの国内問題を批判し、民主化の圧力を加えるようになる。こうした流れの中で、国内外のメディアでも「普遍的価値」から中国を批判する報道が主流となった。日本メディアもまた、日中両国の相互理解を深めようする「友好フレーム」から報道を一転させた(高井 2016)。
高井によって明らかにされた日本の新聞メディアの対中フレームは、注目に値すべきものである。特に「普遍的価値フレーム」は西欧中心のグローバル化の流れの中で強まった「中国への眼差し」が反映されたものであるという点は、メディア・フレームが社会における相互作用の副産物であるということを証明している。