山内明美

日本は明治期から、米輸出国であり1960年代に至るまで、米増産政策を推し進めてきた。米増産への道程は、西南日本の先進地から東北へと稲作技術が普及していった過程でもある。江戸時代の“分断された生産力”が維新によって解き放たれ、一国の統一した生産力を体現した。食糧管理法の成立が、日本の稲作、とりわけ東北にどのような影響を与えたかを概観する。そして、日本人が今日「日本の米」であると認識しているのが、稲作後進地であった東北で作られている米であるという事実を確認したい。東北で作られた米は、古代国家で作られていたのと同じ味の米ではないのである。それは度重なる品種改良のもとにつくられた、まさに“異人の米”なのである。

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