>山折哲雄

>リーマン・ブラザーズに端を発した現象を見て、エコノミストが、とにかく危機だ、危機だと言い募っています。私には非常に不思議な光景でした。要するに、経済の現象は景気の循環ではないかと思ったからです。良いときも悪いときもある。地震列島、台風列島ですから、この地に住む人間は、自然の脅威には究極的に逆らえない、という認識でしのいできたのです。それは、普遍的な感覚ではないでしょうか。
西洋社会は危機に陥ったときは、いつでも犠牲を覚悟して、生き残る戦略を考えてきました。つまり、切り捨てられる部分が必ず出てくる。それを当然の前提とする歴史観が何千年も続いてきたのでしょう。私はそれを生き残り戦略と言っています。その原点は旧約聖書の最初に出てくるノアの方舟の物語にあります。生き残り戦略は、旧約の物語から始まり、その後に考え出された哲学や経済、政治などの社会システムは、全部、この戦略から生み出されていますから、危機がきたら何かを犠牲にする構えになるのは当然のことでした。
これに対してもう一つ、人類が考え出した戦略が無常戦略でした。つまり、危機的な状況に、少数の生き残る可能性のある人間も大多数の滅びゆく人間とともにその過酷な運命を甘受する。それによって、生き残るための可能性を見いだそうとする。これが仏教の無常で、老荘の無の思想とも通ずるものではないか。

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