美術評論家とか専門畑の人たちに褒められたり、あるいはどこかのコンクールで賞をもらって美術界に認められて初めて世に出られる、そういう考え方があります。でもそうすると選ぶ人が一番偉くて、アーティストはその次になってしまう。私は「それしかないの? そういう関係は私には向かない」と思いました。そこで考えてみた。私の絵を好きな人がどのくらいいるだろうか。ピカソだってべつにピカソが偉いから好きになるわけではなくて、たまたま見た彼の絵が好きになったからですよね。一般の人たちにとって、美術はわかるとかわからないではなくて、まずは好き嫌いの問題です。そういう人たちに私の絵をじかに見てもらって、好きになっていただけたらエールを送ってもらおうと思いました。そういうやり方の方が私らしいと思いました。
‘Round About
第27回 山本容子 VS 佐々木 豊
(アート・トップ新装刊2号(213号)より抜粋)
http: //www.gei-shin.co.jp/comunity/04/27.html
美術を難しくした専門家
佐々木: 山本さんは画家では今やダントツに有名人。池田満寿夫だってヴェネツィアビエンナーレでグランプリを取るとか段階を踏んでいるんだけど、あなたは気がついたら燦然とトップで輝いていた。今日はどうしたらそうなれるかを調べ上げたい。
山本: 美術評論家とか専門畑の人たちに褒められたり、あるいはどこかのコンクールで賞をもらって美術界に認められて初めて世に出られる、そういう考え方があります。でもそうすると選ぶ人が一番偉くて、アーティストはその次になってしまう。私は「それしかないの? そういう関係は私には向かない」と思いました。そこで考えてみた。私の絵を好きな人がどのくらいいるだろうか。ピカソだってべつにピカソが偉いから好きになるわけではなくて、たまたま見た彼の絵が好きになったからですよね。一般の人たちにとって、美術はわかるとかわからないではなくて、まずは好き嫌いの問題です。そういう人たちに私の絵をじかに見てもらって、好きになっていただけたらエールを送ってもらおうと思いました。そういうやり方の方が私らしいと思いました。
佐々木: なるほど、奈良美智も千住博も山本容子もみな同じことを言っている。美術評論家や画商ではなくて、直接、普通の人に見てもらいたいし、しゃべりたいんだと。今の消費社会の人たちはかなり勉強してるし、時間もお金ももっている人がいる。成功するためにはそこに行かなければならないんだな。
山本: 日本の美術界がいつのまにか専門家偏重になってきた時期があって、バランスが取れていないなと思ったんです。そうすると、美術がどんどん大衆から離れて「難しいもの」になってしまう。
佐々木: 絵の場合は一品制作だけど、版画の場合は同時にあらゆるところで大衆にアピールできるという利点がある。
山本: そうですね。版画をやっていたことはラッキーでした。
佐々木: それから、本に進出すればイラストレーションで知名度が上がる。
山本: そういうふうに広げていくことは自分に合っています。銅版画というのは五百年前の印刷技術の一つです。だから、初めてガレリアグラフィカで銅版画を発表したとき、「銅版画は印刷技術でしたよ」という意味を込めて、小さなオリジナルの本を作りました。ポートフォリオと呼んでいますが、いまだに制作は続いています。
アトリエの時間が一番長いですよ
佐々木: 本の表紙やイラストレーションになって、複数に流れていき、一つの仕事が別の仕事を呼ぶというのは、いつも実感されている?
山本: もちろんです。
佐々木: 際限なく広がるし、有名になっていく。
山本: 有名かどうかはわからないけれど、仕事はどんどん広がっていきますね。それはありがたいことですが、受け身でやっているわけではありません。声をかけていただいた仕事に対して、「私ならこうする」という提案をして、「あっ、それ面白いからやりましょう」と、そういう話し合いがあって続いていくんです。
佐々木: 今はマスコミに出る仕事も忙しいでしょうけど、半分くらい断っています?
山本: どうでしょうか。いろいろな仕事の依頼が来ますし、出方もありますから。露出はしているように見えますが、銅版画家ですから、もちろんアトリエにいる時間が一番長いですよ。
佐々木: タレント業よりも?
山本: テレビでもクイズ番組などには出ないようにしていて、あくまでも、絵の話をするとか、美術館を訪ねる旅ができるとか、わがままですけど、のちのち自分の創造や発想に役にたつだろうと思うものを受けているんです。
佐々木: 単なるタレントのような出演はソデにしているわけね。池田満寿夫は全部受けていたために過労で倒れてしまったから。
山本: だからそうならないために私は絵を書かないと。折角その才能を持って生まれてきているのだとすれば。
佐々木: 寺山修司は、受ける理由の第一をメディアの発行部数や視聴率で決めてた。
山本: 彼らしいですね。
佐々木: 山本さんの場合は?
山本: それはないですね。講演会とかで、地方の図書館や小学校にも行きますし、生身の人間を相手にするものは受けています。
佐々木: ライブにこだわる。
山本: なまの返ってくる反応が見たいのです。
佐々木: でも、画家の話は、プロの話術に比べたらまどろっこしいですよ。
山本: ライブと言っても、制作秘話を話すのではなく、自分の哲学みたいなものをしゃべりたいと思っているのです。
佐々木: 版画という仕事についての?
山本: 版画はどういうプロセスがあり、アトリエの中でどういう時間が流れているか。私はプロセスそのもの見せることが絵だと思っています。私の銅版画技法は、絵の具が重なっているわけではないので、描き始めから描き終わりまでの時間が全部見えるわけです。絵を見てくださる人たちにその「時間」を楽しんでいただきたいと思っています。それはなかなか文章でも伝わらないので、講演のときに絵を持って行って話すようにしています。
イラストレーターじゃない
佐々木: 版画の人はたいてい、池田満寿夫もそうだったけれど、タブローペインターに対して負い目をもっているらしいね。
山本: そうらしいですね。
佐々木: 山本さんは?
山本: ないですね。私は銅版の技術を使って自分の世界を創っていく。それが複数刷れるからとかなんとかというのはあとの問題で、まずはイメージを表すためにどのような技法を使ったら一番自分らしいだろうかと考える。それがどんなに大きかろうと、小さかろうと、どんなに壊れやすかろうと、私の持っている美に対する考え方が壊れない限りは頑固に自分の世界を続けていきたい。だから、私にしかできないことをやらなければいけないと思っています。
佐々木: アメリカのアーティストはイラストで食べているとしても、必ず「絵描きだ」って言うんですよ。「たまたまイラストの仕事をしているんだ」というポーズを取りたがる。
山本: それはもう、ちょっと古いと思うんですね。マチスの描いた絵でも、本の表紙に使われたらイラストレーションとして使われるわけです。でも、マティスはイラストレーターとはだれも思わない。私の場合もイラストレーションとして使われますが、誰かの説明画を描いたり、そういうことは一切していません。だから、私の場合は、カポーティら文学者との作品、これはコラボレーションと呼んでいますが、挿絵としてイラストレーションを描いたつもりはなくて、文学作品からインスパイアされて描いたものです。
佐々木: だから出版物が作品の重要な舞台になるわけだけれども、展覧会であればなおさらプレゼンテーションに比重が置かれるのでしょうね。
山本: 海外でいろいろな展覧会を見て学んできてことなのですが、作品をどういう環境でどういう光のもとにどう見せるかということを、学芸員が非常にしっかり考えています。メキシコで見た子どものための展覧会では、子どもの目線に作品を掛けていました。日本でもそういう学芸員を持った美術館ももちろんあると思うけれど、いつもそこで展覧会があるわけではありません。だから自分の作品がどういう壁にどういう額縁で、あるいは額縁なしで、どういう光量のもとに掛けられたら、作品が一番きれいに見えるだろうかということは、作品を構想するのと同じように考えますね。
佐々木: 見る人間の目線をいつも意識している。
山本: このあいだ病室の天井に絵を描いたのですが、それは、父が最後まで見ていた病室の天井があまりにもひどかったからです。病室の天井くらいはきれいにしてあげたいなと、そういうことを日々思っているのですが、すぐに描くチャンスが来るわけではありません。ですから仕事として計画するのではなくて、ずっと繰り返し話しをしているうちに、いつか依頼がくることがあるわけです。
山本容子美術館 LUCAS MUSEUM
http://www.lucasmuseum.net/