日一日と統制の強化されつつある今日の時代では、それをそのまま書こうとすると、特に―これらの部分においては、不幸な事態を引き起こしやすいのです。その不幸を避けようとして、いわゆる時代の線にそうように書こうとすれば、いきおい、私は途中から筆を曲げなければなりません。けれども、筆を曲げて書く勇気は私にはありません。
日一日と統制の強化されつつある今日の時代では、それをそのまま書こうとすると、特に―これらの部分においては、不幸な事態を引き起こしやすいのです。その不幸を避けようとして、いわゆる時代の線にそうように書こうとすれば、いきおい、私は途中から筆を曲げなければなりません。けれども、筆を曲げて書く勇気は私にはありません。
ペンを折る(『路傍の石』の巻末の「おわび」)
by 山本有三
ふりかえってみると、私が「路傍の石」の想を構えたのは、昭和11年のことであって、こんどの欧州大戦はさておき、日華事変さえ予想されなかった時代のことであります。しかし、ただ今では、ご承知の通り、容易ならない時局に当面しております。従って、事変以前に構想した主題をもって、そのまま書き続けることは、さまざまな点においてめんどうを引き起こしがちです。もちろんこの作品が国策に反するものではないことは、私は確信をもって断言いたします。
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日一日と統制の強化されつつある今日の時代では、それをそのまま書こうとすると、特に―これらの部分においては、不幸な事態を引き起こしやすいのです。その不幸を避けようとして、いわゆる時代の線にそうように書こうとすれば、いきおい、私は途中から筆を曲げなければなりません。けれども、筆を曲げて書く勇気は私にはありません。...時代の認識に調子を合わせようとすれば、ゆがんだ形のものを書かねばなりません。
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もし、世の中が落ち着いて、前の構想のままでも自由に書ける時代がきたら、私はふたたびあの後を続けましょう。けれども、そういう時代が来なければ、あの作は路傍に投げ捨てるよりほかはありません。そういう運命は、すでに、この作の題名のなかに、含まれていたのかもしれません。
たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。