人口縮小社会について、明るい未来像を持っている人は少ない。人口が縮小してゆく社会というのは、経済が長期停滞し、市場は小さくなり、国家財政は破綻し、みんなの暮らしも破綻し、貧富の差が増大し、社会は疲弊し、水や食糧は不足し、資源は枯渇し、住環境は悪化し、医療は崩壊し、就業や教育の機会の不平等が増大し、災害が多発し、紛争や戦争があちらこちらで起き、パンデミックが数年ごとに襲ってくるというような、どう考えてもいやなものなのだ。
それなのに、日本学術会議の提言「「人口縮小社会」という未来-持続可能な幸福社会をつくる-」は、「幸福」とか「いのち」とか「まなざし」とか「人間性や人生の豊かさ」とか「生まれる前から大切にする」とか「知の探究」とか「ともに働き、生きる」とか「子どもの教育と医療の無償化」とか「妊婦の医療費・健康診査費の公費負担」とか、とにかくフンワリとして、ヤワい。「いったいそんなカネはどこにあるのか?」とツッコミを入れたくなるような内容で、とても提言とは言えない。
提言というのは、経済が停滞をどう乗り越えるかとか、市場は小さくなるなかでどういうメカニズムが有効になるかとか、国家財政が破綻したときにどうすればいいかとか、暮らしが破綻したらどうすればいいかとか、貧富の差の増大をどう防いでゆくかとか、社会の疲弊にどう対応してゆくかとか、水や食糧の不足をどう補ってゆくかとか、資源の枯渇にどう対処してゆくかとか、住環境の悪化に対しなにをすればいいかとか、医療の崩壊に個人レベルでどう対処してゆくかとか、就業や教育の機会をどう確保してゆくかとか、災害にどう立ち向かってゆくかとか、紛争や戦争をどうしたら防げるかとか、パンデミックにはどう立ち向かってゆくかというような、もっとプラグマティックでプラクティカルなものでなければならないのではないか?
「幸福」とか「いのち」とか「まなざし」とかいった耳障りのいい言葉をならべるのは、提言ではなく、ごまかしでしかないのではないか。「美しい国」とか「夢を持てる社会」とか「愛のある暮らし」なんていう言葉は、もううんざりだ。
(sk)
第634作
Proposal