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「シェイクスピアって、だれだっけ」
「さあ。名前は聞いたことあるけどな」
シェ、シェイクスピアを知らんのか・・・。
ひと言でいうと、ここで起こっているのは、「教養主義の解体」という事態である。読んでなくてもいいからさ、名前くらいは知ってろよ。と大人は考える。教養とは早い話が固有名詞の集積である。デカルト、カント、ショーペンハウエルでも、漱石、鴎外、谷崎、三島でもいいが、哲学者なり、文学者なり、歴史上の人物なりの名前を知っているのが基礎教養の証だとしたら、ここ10年くらいで、かつて教養と呼ばれていたものは完全に解体したのだ。
とまあ、思っていたのである。が、事態はそう単純でもないらしい。「空想科学読本」を読んで認識を改めた。教養は解体したんじゃない。別の体系にとってかわられたのである。
>大学生とおぼしき二人連れの「シェイクスピアって、、、、」と話しているのが聞こえる。
お、なになに、珍しいな。シェイクスピアがどうしたって!
「、、、、って、誰だっけ」!
「さあ。名前は聞いたことあるけどな」
「有名人つっても、あんましイメージわかないよね」
「うん。写真も見たことないしね」
うん、写真は見たことないでしょう、誰も。
想像するにかれらは公開中の映画(当時)の「恋におちたシェイクスピア」のポスターなどを見たのだろう。
でもさ、シェイクスピアだよ、とあなたは呆れるにちがいない。知らないってことあるか。
チッチッチ。だから、あなたみたいな本好き人間は出世できないのですよ。
彼らが「嘘、知らないの?」と驚くような例えばミユージシャンやブランドの名前をあなたは知らないに決まっているのだから、そこはお互い様なのだ。