古事記(712年)や日本書紀(720年)の頃の人が
欽明天皇(509年-571年)のことを書くというのは
今(2021年)の私たちが 180年前に生きていた
徳川家定(1824年-1858年)のことを書くようなもの
そして 古事記や日本書紀の頃の人が
聖徳太子(574年-622年)のことを書くというのは
今の私たちが 120年前に生きていた
山縣有朋(1838年-1922年)のことを書くようなもの
そう思えば
古事記や日本書紀のなかの欽明天皇や聖徳太子についての記述が
いい加減なのも仕方ない
古事記が編纂され献上された時の元明天皇は
天智天皇の娘で
日本書紀が編纂され献上された時の元正天皇は
天武天皇の孫だ
天智天皇や天武天皇の親の舒明天皇は
元明天皇や元正天皇にとっては祖父か曾祖父にあたる
その祖父か曾祖父かの そのまた祖父の欽明天皇は
元明天皇や元正天皇には 遠い祖先でしかない
宣化天皇と橘仲皇女(仁賢天皇の娘)の娘の石姫皇女は
欽明天皇とのあいだに
天智天皇や天武天皇の曾祖父にあたる敏達天皇をもうけたとか
蘇我稲目の娘の堅塩媛は
欽明天皇とのあいだに
聖徳太子の父となる用明天皇や
推古天皇となる額田部皇女など
13人の子どもをもうけたとか
蘇我稲目の娘の小姉君は
欽明天皇とのあいだに
聖徳太子の母となる穴穂部間人皇女や
崇峻天皇となる泊瀬部皇子など
6人の子どもをもうけたとか
蘇我稲目の子の蘇我馬子は
敏達天皇の時に大臣に就き 用明天皇を即位させ 崇峻天皇を即位させ
推古天皇を即位させ 聖徳太子を皇太子に立て
高句麗人の恵便という還俗者を師と仰ぎ
聖徳太子には高句麗の僧慧慈を師と仰がせた
そういう ひとつひとつのことを
元明天皇や元正天皇の頃の人たちが正確に知っていたわけもなく
伝承とか 記憶とか 記録とか
そういったものを用いて
渡来人たちの助けを借りて
物語を紡いだのだ
歴史の資料の多くは
書いた人たちが 自分たちの存在を正当化するために書かれた
単なる創作でしかないことを
忘れてはならない
(sk)
第427作
Truth In History
(sk)
現存の古事記で最古のものが書写・校訂されたのが1372年とか
日本書紀の大化の改新の詔の文書が奈良時代に書き替えられたとか
そもそも天皇なんていう呼称は天武天皇が使うまではなかったとか
そんなことを知れば知るほど
歴史は物語としてしか読めなくなる
歴史はロマンだなどと言う人たちがいるけれど
とてもじゃないが まともには向かい合えない
いったいどれだけの人が 文書を改ざんしてきたのか
古事記も日本書紀も 改ざんの歴史ではないか
私たちは 明治時代の改竄と特異な解釈で作られた歴史を学び
それを信じるしかなかった
そのことを どう思えばいいのだろう