水野聡

経典に「善悪不二、邪正一如」とある。本来良い・悪いなど何をもって定めるのか。ただ時により用に足るものを良い、足りないものを悪いとするだけのこと。この芸の品々というものも、その時代の人々所々により最大多数の好みによって、受け入れられるものが用に足りるため、花となるのだ。ここではこれこれの芸がもてはやされ、あちらではまた別の芸が愛される。これぞ人それぞれの心に咲く花である。いずれがまことの花であろうか。ただ時が選ぶもの、これを花とすべきである。

2 thoughts on “水野聡

  1. shinichi Post author

    現代語訳 風姿花伝

    written by 世阿弥

    translated by 水野聡

    そもそも因果というものの良い時悪い時があることをよくよく考えみると、要はただ珍しいか珍しくないかの二つに行き当たる。同じ上手の同じ能を二日続けて見たとする。昨日は面白かったが、今日はなぜか面白くない。これは昨日見て面白かったという印象が心に残り、同じものを今日見ても珍しく感じないため良くないと感じるのだ。さらに後日、またまた同じ曲を見て、今度は面白いと感じる。これは前回良くなかったという印象が、さらに反転して珍しく感じ、それで面白いと思ったためである。
    さればこの道を極め終わって考え見るに、花とは特に際立った何か別のものではない。奥儀を極め、萬珍しさの理を自ずから悟らないかぎり花は見つからない。経典に「善悪不二、邪正一如」とある。本来良い・悪いなど何をもって定めるのか。ただ時により用に足るものを良い、足りないものを悪いとするだけのこと。この芸の品々というものも、その時代の人々所々により最大多数の好みによって、受け入れられるものが用に足りるため、花となるのだ。ここではこれこれの芸がもてはやされ、あちらではまた別の芸が愛される。これぞ人それぞれの心に咲く花である。いずれがまことの花であろうか。ただ時が選ぶもの、これを花とすべきである。

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