One thought on “浅海一男、鈴木二郎、佐藤振壽

  1. shinichi

    東京日日新聞
    1937年12月13日付朝刊

    百人斬り〝超記録〟
    向井 106-105 野田
    両少尉さらに延長戦

    [紫金山麓にて十二日浅海、鈴木両特派員発] 南京入りまで〝百人斬り競争〟といふ珍競争を始めた例の片桐部隊の勇士向井敏明、野田巌両少尉は十日の紫金山攻略戦のどさくさに百六対百五といふレコードを作つて、十日正午両少尉はさすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した
    野田「おいおれは百五だが貴様は?」 向井「おれは百六だ!」……両少尉は〝アハハハ〟結局いつまでにいづれが先に百人斬ったかこれは不問、結局「ぢやドロンゲームと致さう、だが改めて百五十人はどうぢや」と忽ち意見一致して十一日からいよいよ百五十人斬りがはじまつた、十一日昼中山陵を眼下に見下ろす紫金山で敗残兵狩真最中の向井少尉が「百人斬ドロンゲーム」の顛末を語つてのち
    知らぬうちに両方で百人を超えていたのは愉快ぢや、俺の関孫六が刃こぼれしたのは一人を鉄兜もろともに唐竹割にしたからぢや、戦ひ済んだらこの日本刀は貴社に寄贈すると約束したよ十一日の午前三時友軍の珍戦術紫金山残敵あぶり出しには俺もあぶりだされて弾雨の中を「えいまゝよ」と刀をかついで棒立ちになってゐたが一つもあたらずさこれもこの孫六のおかげだ
    と飛来する敵弾の中で百六の生血を吸った孫六を記者に示した。

    〝百人斬り競争〟の両将校/(右)野田巌少尉(左)向井敏明少尉
    =常州にて佐藤(振)特派員撮影。

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