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ピンク映画は好きで、その世界に入ったんですが、最初は大雑把に考えてましたね。語弊があるかもしれないけど、女の人の裸さえ出てくれば「ピンク映画」として成立する。だから残りの場面では実験的なことを展開できるという土壌があったし、そういうふうにも思ってたんです。でも、何本かやるうちに、セックスをちゃんと描かないとダメだなということに気が付いて。人と人とが対峙する場面ってどんな映画にも必要だけど、そのいちばん極限がセックスだから。「人がギリギリで向かい合う感じを描きたい」という思いは、当時も今もずっとありますね。
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若松孝二さんに『俺は手を汚す』というすごい本がありまして。ここには「映画を撮るということは既に罪を犯している」という覚悟が書かれているんですが、そういった感覚は確かに僕にもあるんですね。つまり、表現するということは罪を犯しているということ、ヤバいところに触れざるを得ない部分が絶対にあるんですよ。例えば撮影中にジャマな木の枝を折ってしまうこともそうですが、それを「手を汚す」と自ら告白し、それでも映画を撮るのが大事だと言った若松さんはすごいと思います。自分が決して立派なことをやっているのではないんだっていう自覚がそこにはある。
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作り手の「我」が見えてしまう作品は、あまり面白くないことが多いですよね。サッカーでも「審判が目立つ試合はよくない」って言われるらしいですが、それと一緒です。
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確かに「美意識」というものにこだわりすぎるのは危険だと思っています。もちろん洗練イコールダメというわけではなくて、方法と内容がマッチするかどうかが大事だと思うんですね。外見だけが突出しても、うわべだけの表現にしかならないんですね。
>『ヘヴンズ ストーリー』
監督: 瀬々敬久
キャッチコピー: 世界が憎しみで 壊れてしまう前に