石井四郎

石井四郎石井四郎,日本千叶县加茂村人,日本军人。日军731部队首脑。
第二次世界大战结束前,曾率领兄弟及同村亲兵在中国等地进行活人细菌感染、解剖实验,致使不完全统计约有3000余名中国人、朝鲜人、蘇聯人、美国人、英国人、蒙古人被活生生的进行细菌实验后无麻醉解剖至死。
据称第二次世界大战结束后,石井四郎用其细菌研究的资料数据和驻日美军进行交易,逃避了战争法庭的审判。之后随着1952年后日美缔结和约,日本政府得到了赦免战犯的权力,于是一大批B C类战犯都得以免于罪责。
1952年,中国出版的刊物《世界知识》中的《抗議侵朝美軍的滔天罪行》一文声称石井四郎等原731部队成员前往韩国,协助进行细菌战。此說法後來被藤井志津枝重復。戰後石井四郎對禪著迷,宛如禪僧般地生活,每天都去若松町自家附近的月桂寺,向僧侶請教。
千葉県山武郡芝山町加茂の旧地主、石井家の四男として生まれる(長男は日露戦争で戦死。次男は陸軍嘱託。三男は陸軍技師、て後に731部隊長)。少年期より秀才ぶりを発揮し、京都帝国大学医学部を首席で卒業後、細菌学、衛生学、病理学の博士号を取得した。
知的だが野心的でエキセントリックな人物であったとされる。当時の軍医は中将までしか昇進出来ないことに強い不満を持ち、革新的な研究成果を欲していたとされる。また、当時の日本人としては珍しく身長は六尺(180cm)を超えていた。
京大時代からの恩師であった清野謙次の勧めにより、石井は中国での戦線拡大に伴う日本の資源不足による苦戦を解決するため、当時国際法で戦場での使用が禁止されていた細菌兵器に目をつけ、鉄資源に乏しい日本において「細菌兵器は安上がりで最も有効な兵器」と提唱し陸軍の首脳部を動かす。
戦後石井はGHQと交渉して731部隊関係者の戦犯免責を実現させている。 その後、新宿区内で医院を開業し、近隣の住民が怪我や病気になると無償で診察、治療を行ったという。特に子供の患者については後々までも気にかけ、命を救うことが出来ると「本当によかった」と漏らしていたという。晩年にはキリスト教に入信した。

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