西洋の啓蒙主義に端を発する世俗主義は、プロテスタンティズムを範型とすることで、信仰世界を私的な領域にその存在を限定すべき非合理的なものとして思い定めてきた。そのため、公共領域を宗教が覆うイスラムは、信教の自由を妨げる時代遅れの停滞的なものと見なされがちであった。
おそらく、世俗化が進んだ西洋人からすれば、このように日常生活を宗教で区切られる生活は窮屈さ以外のなにものでもないように映ずるのであろう。しかし、人間の日常を規律化するものは、イスラムにおける公共宗教的なあり方だけではない。世俗社会に住む人間もまた世俗的な政治権力によって規律づけられていることは言うまでも無い。
宗教と世俗は私的領域と公的領域に分割されるべきものだと見なす考え方の典型が政教分離であり、この〈宗教/世俗〉の二分法に基づいて彫琢されてきたのが、西洋のキリスト世界から日本に入ってきた宗教概念であった。
一方、イスラムの場合は、政教一致を旨とするがゆえに、プロテスタンティズムのような私的・公的領域の分離を前提とした〈宗教/世俗〉の二分法には従わないものである。
アラブから近代日本を考える―複数の近代をめぐって
by 磯前順一
http://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2012/0616rondan.html
近代日本の宗教言説とその系譜-宗教・国家・神道
by 磯前順一
日本において,「宗教」概念はどのように誕生したのか.「宗教」という視座によって,従来の心性構造はいかに変貌し,いかなる言説の空間が開かれたのか.「宗教」概念が導入された幕末,「政教分離」の成立した明治20年代,そして「宗教学」が構築された明治30年代に焦点をあて,近代日本における「宗教」の命運をたどる.