第八章 小四郎 (作庭)


文明十五年十月十三日(一四八三年十一月十三日)   
陸奥の伊達成宗が上洛した三日後に

足利義政、永享八年生まれ、四十八歳

小四郎(こしろう)、応永二十三年生まれ、六十八歳
庭師。善阿弥の子。次郎五郎、彦三郎、息子の又四郎などと共に庭師集団の一員として義政に仕えた。前の年に善阿弥が九十七歳で死亡したため、集団は一時的に看板を失っていたと考えられる。この会談の八年後に、善阿弥を名乗るようになった。


(本文から)

小四郎 美意識というより、想像力ではないでしょうか。陽の光を浴びている建物。月の光を浴びている建物。雨に打たれている建物。雪が降り積もったなかの建物。青葉に映える建物。黄葉に埋もれた建物。そんな建物の表情を思い浮かべることができるかどうか。それぞれに効果的な仕掛けを施すことができるかどうか。池を作り、鏡として使う。庭を作り、色を作り出す。
義政 池を作る。月が出れば池のなかにふたつ目の月が映し出される。庭を作る。雪が降れば真っ白な雪が一面を埋め尽くす。そういうことか。
小四郎 そうです。季節を考え、天気を考え、時間を考える。例えば冬の晴れた満月の夜を考える。その時に、なにが見たいか。そのために、どんな仕掛けが必要か。そんなことを考え抜くのです。
義政 秋の雨に濡れた落ち葉の上を歩きながら、なにを思いたいか。どんな景色があれば、そんな思いを持つことができるか。
小四郎 おお、そうです。そういうことです。そこまで想像が働けば、あとは簡単。池を作る。周りに白い砂を敷き詰める。月夜に池の水面が白く輝く。その白い輝きはどこまでも鈍く、その輝きのなかに浮かび上がった建物は、この世のものとは思えない。