先日、同世代の中国文学者である福嶋亮太さんとの対談で、「正史」と「稗史」の違いが話題になりました。正史は王朝や国家が定める正統な歴史、稗史は民間で自由に書かれる多様な歴史ですね。福嶋さんは中国と比べて、日本は正史より稗史が影響力を持った点が特徴だという。例えば水戸藩が編さんした「大日本史」よりも頼山陽の筆になる「日本外史」の方が、幕末以降広く読まれた。戦後日本人の歴史観への影響が大きいのも、教科書より司馬遼太郎の小説やエッセーでしょう。
国が定める「正しい歴史」一色に染まってしまう社会は余裕や厚みのない社会です。公定の歴史観で説明できない事態が起きると、たちまち対応できなくなる。民間に様々な歴史観のストックがあると、行き詰まっても他の歴史観を持ってきて考え直すことができる。戦後に日本人は「皇国史観」を捨ててもやり直せた。それを可能にしたような歴史観の「幅」を作るのも、研究者が社会に貢献するあり方ではないでしょうか。
例えば、国境を越えて人々が感情移入でき、東アジアでベストセラーになる歴史小説を歴史学者がプロデュースするようなことが起きたら楽しいですよね。歴史学的にもしっかりした内容で、見どころのある小説や映画の制作に歴史家が関わるとか。歴史認識を共有する道を探るなら、「正しさ」ばかりを突き詰めるのではなく、「面白さ」を経由するルートをもっと考えていいと思います。
歴史の曖昧さ大事に
「正しさ」ばかり追求、対立招く
by 與那覇潤さん
日本経済新聞
2014/8/6 夕刊
「正しい」歴史への過剰な期待はかえって対立を招く――。日本史研究者の與那覇潤さんは、歴史に曖昧さと多様性を認めることの大切さを説く。