shinichi Post author29/04/2022 at 3:33 pm 暇なときには気を張った心持ちで、忙しいときにはゆとりを持って 夜深く人静まる、独り座り心を観る、妄想消え真実が現れる、いつもその中から、大機趣が得られる いいことばかりのとき害を生じる、だからいいときこそ、頭をめぐらす 悪いことの果てに道が開ける、だから悪いときこそ、投げ出したりしない Reply ↓
shinichi Post author29/04/2022 at 4:03 pm 菜根譚 https://ja.wikipedia.org/wiki/菜根譚 菜根譚は、中国古典の一つ。前集222条、後集135条からなる中国明代末期のものであり、主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみを説いた書物である。別名「処世修養篇」。洪自誠(洪応明、還初道人)による随筆集。 書名は宋の汪信民「人咬能得菜根、則百事可做(人能く菜根を咬みえば、則ち百事なすべし)」に依拠する。菜根は堅くて筋が多いので、これをよく咬みうるのは、ものの真の味わいを味わいうる人物であるということを意味する。 『菜根譚』の版本は、洪自誠を著者とする「洪自誠本」と、洪応命を著者とする「洪応命本」の二系統がある。日本で流布したのは洪自誠本である。 著者の洪自誠の来歴は不明である。日本に『菜根譚』をもたらした林蓀坡も、明代末期に引退して道を楽しんだ人物と述べるに留まる。一方、亀谷省軒は「洪応明、自誠は、還初道人と号す。明の万暦中の人なり」と説いた。 内容は明末に盛んであった清言である。前集222条、後集135条の計357条から成る。前集は世間や人と交わる道を説き、後集は山林自然の趣きや退隠閑居の楽しみを説く。思想的基盤は儒教・道教・仏教を交えた三教合一の思想である。 明治時代以降も、清言の書として人々に愛読された。 Reply ↓
暇なときには気を張った心持ちで、忙しいときにはゆとりを持って
夜深く人静まる、独り座り心を観る、妄想消え真実が現れる、いつもその中から、大機趣が得られる
いいことばかりのとき害を生じる、だからいいときこそ、頭をめぐらす
悪いことの果てに道が開ける、だから悪いときこそ、投げ出したりしない
菜根譚
https://ja.wikipedia.org/wiki/菜根譚
菜根譚は、中国古典の一つ。前集222条、後集135条からなる中国明代末期のものであり、主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみを説いた書物である。別名「処世修養篇」。洪自誠(洪応明、還初道人)による随筆集。
書名は宋の汪信民「人咬能得菜根、則百事可做(人能く菜根を咬みえば、則ち百事なすべし)」に依拠する。菜根は堅くて筋が多いので、これをよく咬みうるのは、ものの真の味わいを味わいうる人物であるということを意味する。
『菜根譚』の版本は、洪自誠を著者とする「洪自誠本」と、洪応命を著者とする「洪応命本」の二系統がある。日本で流布したのは洪自誠本である。
著者の洪自誠の来歴は不明である。日本に『菜根譚』をもたらした林蓀坡も、明代末期に引退して道を楽しんだ人物と述べるに留まる。一方、亀谷省軒は「洪応明、自誠は、還初道人と号す。明の万暦中の人なり」と説いた。
内容は明末に盛んであった清言である。前集222条、後集135条の計357条から成る。前集は世間や人と交わる道を説き、後集は山林自然の趣きや退隠閑居の楽しみを説く。思想的基盤は儒教・道教・仏教を交えた三教合一の思想である。
明治時代以降も、清言の書として人々に愛読された。
(sk)
「菜根譚」というタイトルのせいで、料理本に間違えられることもあるという。