たかだか十数日間のお祭り騒ぎです。福祉、医療、教育、防災と重要課題が山積する中、巨額の税金を投じるのはナンセンス。
東京都は五輪のために4000億円を積み立てています。ただしこれは大震災以前の計画に基づいたもの。3・11を経た今、東京で生活する人たちのことを考えれば、『五輪貯金』を取り崩してでもやらなければならないことが多いはずです。だいたい感動だ何だと言っても、メディアが派手に演出し装飾している。例えば、原発事故で外出が制限された福島の子どもたちが、久しぶりに校庭に飛び出して思い切り体を動かしたときの感動に比べれば、なんと安っぽいことか。選手たちも安易に夢だ感動だと口にしているが、果たしてどこまで理解して言っているのか疑問ですね。
世界と比べると、日本の五輪選手への強化費は少ないとされています。しかし、彼らにカネが流れれば流れるほど、大衆のスポーツ振興は置き去りにされる。一般レベルのスポーツ振興にヒト、モノ、カネが注ぎ込まれなくなるのです。選手は望んでスポーツエンターテインメントの“商品”となった。メシを食うためにスポーツの道を選んだのです。もしスポーツ関連で税金を使うのであれば、そんな相手ではなく、普通に暮らしている人たちの幸せにつながるスポーツの環境づくりの方が大事だと思います。
五輪招致活動は莫大な都税の浪費 これはアマスポーツ選手の老後生活対策
日刊ゲンダイ
ダブル選のドサクサに紛れて「東京の顔」を射止めた猪瀬都知事が、五輪招致レースを本格化させている。きのう(8日)、国際プロモーション活動が解禁となり、「本当の正念場を迎える」と強調。
10日にはロンドンでも会見を開くというが、はたして何のため、誰のための「東京五輪」なのか。
「たかだか十数日間のお祭り騒ぎです。福祉、医療、教育、防災と重要課題が山積する中、巨額の税金を投じるのはナンセンス」
スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏が、こう憤った。招致委員会がIOCに提出した「立候補ファイル」によると、開催日程は7月24日から8月9日までの17日間で、運営費は3000億円。国立競技場の改修に、1300億円もの巨費を投じるという。
こんな酔狂な計画を実現するため、東京都は37億円の招致費用も投じる。招致できなければ全てパー。仮に招致がかなっても、3000億円が必要になる。なんともバブリーな話だが、「子どもたちに夢と感動を」とか言って、莫大な都税の浪費を正当化するのだから悪質だ。
「東京都は五輪のために4000億円を積み立てています。ただしこれは大震災以前の計画に基づいたもの。3・11を経た今、東京で生活する人たちのことを考えれば、『五輪貯金』を取り崩してでもやらなければならないことが多いはずです。だいたい感動だ何だと言っても、メディアが派手に演出し装飾している。例えば、原発事故で外出が制限された福島の子どもたちが、久しぶりに校庭に飛び出して思い切り体を動かしたときの感動に比べれば、なんと安っぽいことか。選手たちも安易に夢だ感動だと口にしているが、果たしてどこまで理解して言っているのか疑問ですね」(谷口氏)
もし仮に五輪に感動があったとしても、世界のどこで開催しようが同じ。東京招致の理由にはならない。
結局、東京での五輪開催を待ちわびているのは、甘い汁に群がる土建屋やイベント屋、スポーツ関連会社に、一旗揚げたいアマチュア選手ぐらいのものだ。中でも選手は、「東京五輪で活躍した」となれば、一生メシが食えるだろう。指導者になったり、全国を講演で回ったり、企業の広告塔になったりと可能性は広がる。五輪でのメダルを足がかりにタレントや政治家に転身した元選手も少なくない。五輪で活躍すれば、老後まで安泰である。
むろん、才能と努力は必要だ。だれもが目指せる道ではないが、彼らの強化にも税金は使われている。今年度の国のスポーツ関連予算は238億円で、メダル有望競技には30億円近くを計上。JOCにも25億円以上の補助金が支払われているのだ。
被災地の復興は遅々として進まず、社会保障費は年々膨張し、財政はアップアップになっている。そんな中、招致だ強化だと税金を使うのは、あるべき姿なのか。
一昨年の6月、「スポーツ立国の実現を目指す」としたスポーツ基本法が制定された。その規定に基づいたスポーツ基本計画は、「夏季五輪の金メダル獲得数で世界5位以上」などと具体的目標を設定。これによって「五輪命」のアマ選手に大っぴらに税金が渡るようになった。その上、「東京開催」となれば、さらに血税が使われるのは明らかだ。看過はできない。
「世界と比べると、日本の五輪選手への強化費は少ないとされています。しかし、彼らにカネが流れれば流れるほど、大衆のスポーツ振興は置き去りにされる。一般レベルのスポーツ振興にヒト、モノ、カネが注ぎ込まれなくなるのです。選手は望んでスポーツエンターテインメントの“商品”となった。メシを食うためにスポーツの道を選んだのです。もしスポーツ関連で税金を使うのであれば、そんな相手ではなく、普通に暮らしている人たちの幸せにつながるスポーツの環境づくりの方が大事だと思います」(谷口氏)
そもそもスポーツ選手になったのは自己責任だ。銀行や商社、メーカーに就職したサラリーマンと同じである。それなのに彼らは税金を受け取り、税金で東京五輪という舞台が整うことも望む。地道に生活している庶民からすれば、納得できない話である。
長野オリンピックのメリットとデメリット
http://www.jca.apc.org/unicefclub/unitopia/1998/olympic.htm
NAOC(長野オリンピック組織委員会)は招致費に25億5606万7892円かかった、としている(1991年)。1988年の段階では5億としていたのだから、5倍になったことになる。なお、この額はNAOCの前身長野冬季オリンピック招致委員会が支出した金額であり、国や県、市町村が独自に支出した分は含んでいない。それを含めると50億円近くになるといわれている。
この招致活動費というものが実際上具体的にどのように使われたのかがよく分からないのである。接待やわいろとして使われたのではないか、と言われることもある。
映像の制作、競技会場の仮設施設の建設、広報・報道、式典などに使われるお金。1988年の段階では400億円の予定であったが、1991年の誘致段階で、760億円、95年6月の試算では1500億円を超えた。96年には切りつめて945億円という予算になった。97年3月には1030億円に最終決定された。このように大会運営費が膨れ上がったのは実施競技数の増加、会場の広域化などのためである。
今回の長野オリンピックにおいて運営費はテレビ放映権や企業協賛金集め(マーケティング)による確保が原則で、長野五輪は当初から国の補助はない。しかし、不況により企業協賛金集めが順調には行かず、テレビの放映権もドル建てのため円高により目減りするなど、全額を確保することが難しくなった。そこで、開催自治体(県、開催市町村)に補助金として運営費を負担させることが行われた。その総額は自治体派遣の職員に対する補助も含めると120億円前後、含めないと50億円といわれている。
結局オリンピック後に判明した大会運営費は1070億から1080億あたり、となってる。