shinichi Post author22/03/2013 at 11:12 pm 『 どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である。 私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれるとも思わない。 国家は国民のために存在してほしい。だが、国家は国家のために存在しているのである。 私の覚悟したいことの一つはそういうことだ。 国を愛し、国に保護されているが、最後まで国が国民を守ってくれる、などと思ってはいけない。国に頼らない、という覚悟をきめる必要があるのである。 国民としての義務をはたしつつ、国によりかからない覚悟。最後のところでは国は私たちを守ってはくれない、と「あきらめる」ことこそ、私たちがいま覚悟しなければならないことの一つだと思うのだ』 という五木寛之の言葉とあわせると、赤澤さんの考えは重みを持つ。 私たちの多くは、いざという時に日本という国家から逃れられない。そして、いざという時には、国家は私たちを守ってくれない。 私たちの多くは、いざという時に日本列島から逃れられない。そして、いざという時には、日本列島は住みやすい場所ではなくなる。 Reply ↓
『 どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である。 私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれるとも思わない。 国家は国民のために存在してほしい。だが、国家は国家のために存在しているのである。 私の覚悟したいことの一つはそういうことだ。 国を愛し、国に保護されているが、最後まで国が国民を守ってくれる、などと思ってはいけない。国に頼らない、という覚悟をきめる必要があるのである。 国民としての義務をはたしつつ、国によりかからない覚悟。最後のところでは国は私たちを守ってはくれない、と「あきらめる」ことこそ、私たちがいま覚悟しなければならないことの一つだと思うのだ』
という五木寛之の言葉とあわせると、赤澤さんの考えは重みを持つ。
私たちの多くは、いざという時に日本という国家から逃れられない。そして、いざという時には、国家は私たちを守ってくれない。
私たちの多くは、いざという時に日本列島から逃れられない。そして、いざという時には、日本列島は住みやすい場所ではなくなる。