わびさびが茶の湯や禅と結びついて日本の美の主流とされる一方、「かざる」美は低く見られてきた。この年になると、わびさびもわかってきますけど(笑)。でも、茶人の小堀遠州が「綺麗さび」を掲げたように、両方を対照的に見せて引き立てる考え方もありました。
それに、「遊び」も日本美術の特質。奇想の画家たちは皆、見る人の笑いを誘う仕掛けを忘れません。歌川国芳は漫画家みたいだし、若冲の水墨画も、長沢蘆雪(ろせつ)が描く虎も遊んでる。世俗的な江戸美術はエンターテインメントという言葉がふさわしい。
美術は堅苦しく学ぶものではない。絵を見る、絵を描く、美術館に行く…アートの世界に首を突っ込むと、ちょっと違う世界が広がる。大げさだけど、生きる喜びにつながると思うんです。
若冲ブームの立役者・辻惟雄さん自伝「奇想の発見」
by 黒沢綾子
http://www.sankei.com/life/news/140724/lif1407240024-n3.html
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奇想の発見
by 辻惟雄
若冲・蕭白を見出した辻センセイの愉快でトホホなハミ出し人生。ギロリと眼を剝く曾我蕭白の雲龍図、岩佐又兵衛の血みどろ絵巻、そして大ブームを巻き起こした伊藤若冲の白い象――。花鳥風月を優雅に愛でる日本美術史の片隅ですっかりキワモノ扱いされていた「奇特な」画家たちを発掘し、ニッポンの美に禍々しき愉楽を与えた立役者。その自由な精神を育んだ生涯を綴る、初めての自伝。
正直な奇人の愉快な自伝
『奇想の発見―ある美術史家の回想―』辻惟雄 著
[評者]佐久間文子
http://www.dailyshincho.jp/article/2014/08061600/?all=1
伊藤若冲、曾我蕭白といった日本美術史の中で埋もれていた画家たちに、「奇想」をキーワードに光を当てた美術史家の自伝である。「奇想」が代名詞となった人の、なまなかではない「奇人」ぶりがこの本の読ませどころだ。
功成り名遂げた人の伝記には紆余曲折、失敗談がつきものだが、たいていは若き日の過ち、成功物語のスパイス程度におさめられる。著者の場合は、生涯を通しての「呆れた」「困った」「失敗した」エピソードがちりばめられているので、その迫力に圧倒される。
もの忘れ、といったかわいい失敗もあれば、指導していた女性に猛アプローチをかけて相手の父親に抗議され、あやうく就職を棒にふりそうになったこと、東大定年後にどこからも声がかからず、国際日本文化研究センターに自分からプロポーズして職を得たこと、その後、学長になった美大で二期目に立候補して落選したこと、などなど、並の学者なら避けて通りたい暗黒の歴史がばんばん出てくる。むしろ、そういう箇所ほど言葉が弾み、嬉々として書いているように見えるのが奇人の奇人たるゆえんだろう。
若冲の第一発見者はコレクターのジョウ・プライスさん、蕭白はボストン美術館にいたモネ・ヒックマン氏と私、と発見の手柄をひとりじめにしない。若冲らをつなぐものとしての「奇想」のアイデアについても、先人の文章のどこから得たのかをはっきりさせて書くところは科学者の態度に通じる。
中学生で画家を志し、父親のあとを継ごうと医者をめざしたこともあるが、どちらもはたせなかった。最短距離で選ばなかった美術史の世界でも、あいかわらず右往左往を続ける。そのぶん、視野が広い。ジャンルをまたいでさまざまなものを見て、読んで、柔らかい頭で豊かな着想を得る。
本書に出てくる人名がまたすごい。作家の畑正憲、小田実、映画監督の高畑勲、絵本作家の加古里子(かこさとし)、舞踏家の大野一雄、と折々に出会った人の印象記も面白い。日文研の研究会にやってきた文化人類学者の山口昌男が、はじめのうち疲れて髪もバサバサなのに、髪が艶を取り戻すと同時に猛然と発言を始める、というアニメを見るような記述を読むと、そんなはずないだろう、と思うと同時に、この人の目には、ふつうには見えないもののかたちや動きが見えているのかもしれない、とも思わされる。
現在、氏はMIHO MUSEUMの館長をつとめている。「奇人だ」と辻氏の就任を断ろうとした初代館長の梅原猛に、美術館を主宰する新興宗教団体の会長は、「奇人は正直だからかえってよい」と言ったことが最後のほうで紹介されている。その言葉に、深くうなずく。
辻惟雄
つじ・のぶお
昭和7年(1932年)、愛知県生まれ。東京国立文化財研究所技官、東大教授、国立国際日本文化研究センター教授、多摩美術大学長などを歴任し、現MIHO MUSEUM館長。
『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫)
『奇想の図譜』(ちくま学芸文庫)
『日本美術の歴史』(東大出版会)
『辻惟雄集』全6巻(岩波書店)