野口晴哉

Noguchi嗜みとか慎みとかが大切であることは否定しないが、それは、体中で笑い怒れる人が慎むから慎みであり、嗜みなのであって、エヘヘヘヘと誤摩化し笑いしかできないようでは、腰が抜けているというだけであります。自然の感情の発露がなくなってしまうようでは、人間が人形に近づいたといえます。もう一度、原始の状態にフィードバックし、そこから再出発する方が、活き活きした生き方が生まれるのではなかろうか。自分の持っている力を発揮できなくなった人間には、特にこういう、全身を叩きつけ、全力で生きることが必要だと私は思うのであります。

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