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古典はいつでも誰もが学ぶべきもので「新」も「派」もない。古典というと、はるか昔に絶滅して今は博物館の冷たい大理石の台に横たわる竜の死骸か何かのように考えている人がいる。これはいささか愚かな早合点。正確にいうと、古典とは「時間を超えて生き続けているもの」。
わずか一回の短い人生を生きている我々以上に最もよく生きているもの。むしろ我々の方が古典よりも先に台の上の死骸になる。学ばずにおく手はない。古典を学ぶとは一も二もない。幾度も自分を殺すことである。そして、言葉のはるか彼方から響いてくる言葉の声に耳を澄ます。個性、才能、自己表現。そんな恥ずかしいものを見せびらかしたい人は勝手に見せびらかしてくれ。早晩、時間がきれいに洗い流してくれる。