3 thoughts on “長谷川潾二郎

  1. shinichi Post author

    長谷川潾二郎『猫』

    by 道草太郎

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     長谷川家の猫「タロー」くん、至福の時である。

     長谷川潾二郎の作品は小品が多く、しかも非常に遅筆であったという。目の前の対象を、部分からじっくりと一筆ずつ確かめながら描くためなかなか完成しなかった。中でもこの『猫』は特別に時間がかかっている。何年を要したかは実は定かでない。目録では1966年とされているが、それは画商の言い分で作家本人にとっては遂に未完成の作品であった。

     そのいきさつが、潾二郎が残した『タローの思い出』に記されている。タローがこのポーズを取って眠ってくれるのは一年の内九月中旬の数日間に限られる。気温とタローの気持ちがそうさせるらしい。その時期を過ぎると背中が丸くなる。したがって「この画を続けて描くのは、来年の九月まで待たなくてはならない」のだそうだ。そして翌年、待望の九月となり、タローの寝姿を九分通り仕上げた。ところが、しばらくして誰かが画の猫には髭がないことに気付いた。描き忘れたのである。潾二郎によると、猫の生きている毛並みの美しさを現すことに熱中し、そのため髭を忘れたのだという。

     そこに現れ所望したのが画商の洲之内徹である。潾二郎は、髭ができてから渡すと約束した。来るたびに髭はまだかと催促するが、来年の九月までは難しいと答える。その内に次第にタローの方が同じポーズを取ってくれなくなった。潾二郎はたとえ髭一本でも見なければ描くことはできない。曰く「空想で描くことは出来るが、私はそれがいやだった」のだ。そうして髭のないままに時が経ち、モデルのタローはやがてこの世を去る。数年の後、約束を果たすために髭は空想で描き加えられた。『タローの思い出』にはこうある。「それは簡単な、申し訳のような髭だった。」

     こうしてタローは髭を得た。しかし、よく見ると髭は片方にしかない。

     この、タローの髭のものがたりは洲之内徹のエッセイにもある。芸術新潮に連載され、後に『絵のなかの散歩』(昭和48年新潮社)にまとめられた。引用すると―――「・・・長谷川さんは、『しかたがない、想像でかきましょう。いや、デッサンはあるのです』そう言ってアトリエからデッサン帖を取ってきて見せた。ほんとうに、髭だけのデッサンが二枚あった。それからしばらくして、絵の中の猫は、何年目かに初めて髭を生やしてもらった。『髭をかきました』長谷川さんの差し出すキャンバスを受けとって見ると、どういうわけか左半分の髭しか描いてない。しかし私は、どうして右側の髭がないのかは訊かなかった。下手なことを言って、また何年も待つことになっては大変だ。」

     「猫」は宮城県美術館の洲之内コレクションに収められている。でも、国内様々な展覧会に出かけていることが多く、タローくんは留守がちである。

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