何よりも重要なのは、建築はそれを使う人たちのためのものだという当たり前の事実である。だからお金を出す人よりもそれを実際に使う人の意見を素直に聞くのが、本来の建築家の正しい在り方である。この当たり前の仕事が、本質的に全ての建築家に使命として求められている。その意味で建築家とは芸術家ではなく、あくまでも設計技術者であるべきである。
何よりも重要なのは、建築はそれを使う人たちのためのものだという当たり前の事実である。だからお金を出す人よりもそれを実際に使う人の意見を素直に聞くのが、本来の建築家の正しい在り方である。この当たり前の仕事が、本質的に全ての建築家に使命として求められている。その意味で建築家とは芸術家ではなく、あくまでも設計技術者であるべきである。
「らしい」建築批判
by 飯島洋一
飯島洋一『「らしい」建築批判』
by gravity97
http://tomkins.exblog.jp/23526997/
『ユリイカ』連載時より話題となっていた飯島洋一の「『らしい』建築批判」が大幅な加筆修正のうえ、刊行された。きわめて刺激的で挑発的な論考であり、美術に関わる者としても看過できない多くの重大な問題を扱っている。私はこれまでも飯島の建築論をずいぶん読んできた。とりわけ同時多発テロと東日本大震災を顕在的/潜在的な主題とした『建築と破壊』と『破局論』は印象に残っている。しかし今世紀の二つの「破局」を主題としながらも、飯島の論考はどちらかといえば抽象的、韜晦的であった。これに対して本論はきわめて具体的かつ攻撃的であり、私はまず飯島の書きぶりの変化に驚いた。そして飯島が徹底的な批判を加えるのは安藤忠雄と伊東豊雄という日本の建築界、いや世界の建築界のトップランナーなのだ。飯島は次のように記す。「それならば、安藤忠雄や伊東豊雄には、1970年代以降の建築家の、いわばその代表者の立場にあると、そのように演繹的に考えてもいいはずである。だから彼らには、それなりの社会的責任というものがある。そのため私は、この本で、あえて彼ら二人を集中的に俎上に載せた。それは決して間違った判断ではないと確信している」私には飯島の批判が二人の建築家のみならず、文化の体制と深く関わっているように感じられる。それは飯島の言葉を用いるならば「革命の終焉」であり、それ以後、表現を生業とする者がいかに生きるべきかという問題だ。飯島の問題提起が論理的というより倫理的であるのはこのゆえであり、これから述べるとおり同じ問題は建築のみならず、現代美術にも深く関与している。
本書を執筆した動機が新国立競技場の設計競技のコンペティションに対する強い異議であったことを飯島は冒頭で明らかにしている。周知のとおり、安藤忠雄を審査委員長として進められたこのコンペではイラク出身の花形女性建築家ザハ・ハディドのプランが最優秀賞を得た。しかしハディドのプランに対しては槇文彦が異論を提起し、さらに(飯島によれば当初から明らかであったとおり)予算の大幅超過が明らかになるなど、いまだにその帰趨は定かではない。飯島はこのコンペ自体が公的な「公開コンペ」であるにもかかわらず、応募資格が著しく制限されている点を批判する。すなわちこれまでに15000人以上を収容するスタジアムを設計した経験のあること、もしくは世界的に権威のある五つの建築賞のいずれかの受賞者であることが応募の条件であり、初めから実質的に若手の才能のある建築家たちを排除しているのだ。ちなみに二番目の条件とされている五つの建築賞の全てを受賞しているのはおそらく安藤忠雄だけであろうとのことだ。このような制限を設けてまでもなぜ主催者そして審査員たちは大物建築家のみを選抜の対象として、そしてハディドの奇抜な案を選んだのか。飯島は次のように推理する。「端的に言えば、東京五輪招致のプレゼンのために、この派手なハディドの案と、さらに言えば、世界的建築家ザハ・ハディドの名前とがとにかく必要だったのである。(中略)コンペの審査のプロセスで、何よりもはっきりと求められていたのは、最初からそのような五輪の祭典に適うスター建築家、そしてブランド建築家の存在だったのである」私はこの見立ては正しいと思う。今やハディド案は予算オーバーのために大幅に縮小されて実施される可能性が高い。(この予算はいうまでもなく私たちの税金によって賄われている)飯島は「(招致委員の一人である)水野が自慢げに掲げたものよりも、東京五輪のメイン・アリーナは、確実に劣るものができることになったのだ。それならばIOCとしても、これでは当初と話がまるで違うではないかと、今からそう主張しても全くおかしくない」かかる欺瞞と完全な相似形をなすのは私たちの首相が五輪招致のプレゼンテーションで述べた「汚染水が完全にコントロールされている」という虚言である。私は2020年の東京オリンピックとは日本にとって将来の汚点となる不正義以外のなにものでもないと確信しているが、招致のプレゼンテーションを取り繕うために嘘で固めたアリーナのプランと首相の演説、いずれもこの事業の本質を暗示している。そして飯島はかかる強引さが建築をめぐる現在の状況の裏返しであると指摘する。「こうしたことは、ただ建築家ザハ・ハディド一人だけの問題でなく、実は現在の先進諸国の世界的な建築家の多くに、かたちを変えて感じ取れる事柄なのである。こういう傾向はすでに20世紀末から少しずつ見えはじめていたが、それが今や止まることを知らないところにまで暴走している。そしてこの暴走へのかなり強い危機感が、いまあえて本書を執筆した私の最大の動機である」
飯島が指摘するとおり、同様の強引さは安藤や伊東、ハディドのみならずフランク・ゲーリーあるいはレム・コールハス、SANAAの建築にも指摘できるだろう。以前私はこのブログでビルバオのグッゲンハイム美術館を訪れた際の印象について論じたが、「アイコン建築」の典型とも呼ぶべきこの美術館においてはフランク・ゲーリーの意匠が全面展開し、展示される作品はどうでもよいといった印象を受けた。この美術館にリチャード・セラは《スネーク》という蛇行する曲面の大作を設置したが、その際にセラとゲーリーの間で確執があったと何かで読んだ記憶がある。あるいはニューヨークのニューミュージアム、金沢21世紀美術館、兵庫県立美術館、有名建築家によって設計されたこれらの美術館のいずれも私は展示効果、あるいは美術館としての機能という点で感心したことがない。それぞれの建築家のブランドを美術館という場で誇示したに過ぎないからだ。
このような傾向を飯島は歴史的に概観する。飯島によればこのような傾向が顕著となるのは1970年代以降であり、断絶は1968年に画された。いうまでなくパリ、五月革命の年である。飯島はル・コルビュジエから説き起こし、この建築家が推進したモダニズムが革命の精神と深く結びついていた点を論証する。飯島は革命とモダニズムが車の両輪のように稼働して、アカデミズムと激しい戦いを繰り広げた様子をウィリアム・モリス、ドイツ工作社連盟などの活動を丹念に追いながら検証する。革命を是としたモダニズムはアメリカにおいてフィリップ・ジョンソンのインターナショナル・スタイルの中で換骨奪胎される。本書の中で飯島は磯崎新の言葉を引きながら、この点を明快に説明する。「問題は、モダニズムがスタイルなのかイデオロギーなのかということだと思うんです。イズムである限りイデオロギーであるはずですが、我々が建築のモダニズムを見ていると大体スタイルなんですよね。(中略)だから彼(フィリップ・ジョンソン)にとってモダニズムはスタイルなんです」イデオロギーはなくなっている。インターナショナル・スタイルの成立に伴うイデオロギーなきスタイルの台頭、そして1968年における革命の終焉。この二つの事件を経て1970年代以降、資本主義が一人勝ちする社会の中で建築は大きく変わる。飯島は次のように的確に評している。「1968年の革命終焉以後の資本の論理に大きく準じる建築が、つまりスノビズムに準じることが、ここで言う趣味的という概念である。つまり、よりわかりやすく言えば、それからの建築家はお金だけがものを言う建築を、嫌でもつくるようになったのだ」冒頭の新国立競技場のコンペと関連して飯島は次のようにも述べている。「当時、まだ東京都知事だった猪瀬直樹はIOCへのプレゼンテーションの中で、東京都には銀行に行けば明日にでも下せる多額のキャッシュがあると主張していた。猪瀬はまるでそのお金は自分が全て稼いだものであるかのように胸を張っていた。その姿は、お金さえあれば、この世界では何でもできるのだと、傲慢になっている人間の姿に見えた」この意味においてもハディドのプランはまことに「東京五輪」にふさわしいといえよう。
ハディドのプランへの批判は本書全体を通底し、これから私が美術に引きつけて論じるような問題へと応用可能な射程を有している。問題はきわめて単純だ。建築は設置される場所とどのような関係をもつべきか。飯島は安藤に即しながら、その変節を検証する。少なくとも初期において安藤はこの問題を思考している。安藤の初期作品はケネス・フランプトンによって「批判的地域主義」と呼ばれ、地域に対する意識を持った建築とみなされている。やや屈折した議論となるが、例えばよく知られた「住吉の長屋」を飯島は場所性と歴史性を無視してコンクリートの箱を挿入し、住吉区の長屋の連続性を切断していると批判する。しかしこのような建築に安藤は「都市ゲリラ」の名を与えて、ネガティヴな意味づけであるにせよ、少なくとも建設された時点においては場との関係を意識し、一種の緊張感を建築に与えていると私は考える。問題はこれらの一連の作品によって自らのブランドを確立した後の建築家のふるまいだ。例えば彼のブランドであるコンクリート打ち放しの建築が海外に応用された2008年の「スリランカの住宅」と2011年、メキシコの「モンテレイの住宅」をみるがよい。「安藤の二作品からは、二つの異なる場所の相違がまるで感じ取れないのである。(中略)そもそも、スリランカやモンテレイという風土や当地の施工技術に、安藤忠雄の打ち放しコンクリートが無理なく合うものだろうか」飯島は施工にかかる条件や安藤の著述を詳細に検討したうえで次のように結論づける。「(安藤がこの二つの建築で用いた)たとえばそのZ型の幾何学が、あるいはその研磨されたコンクリート打ち放しが、さらには『安藤忠雄がつくった』という事実が、安藤忠雄のブランドであり、商標であり、ロゴだからである。すなわち、スリランカやモンテレイの資産家たちが心底欲しがっているのは、彼の建築ではなく、その建築の出来栄えですらなく、この安藤忠雄のロゴである」ここで指摘された施主の意図は当然安藤も了解しているだろう。もちろん建築とは施主がいて初めて成立するから、私は単純に安藤を批判しようとは思わない。しかし、かつてル・コルビュジエ、革命の建築家に心酔して建築を志したはずの安藤にとってこのような妥協は自らの建築家としての生き方の根幹に関わるのではないだろうか。安藤によれば「スリランカの住宅」は次のような人物によって求められたらしい。「クライアントは、現地で製造業を興し、グローバルな企業へと発展させた会社社長である夫、スリランカの風土にインスパイアされた作品をつくり続けている画家である妻の、ベルギー人夫妻である。一年の多くをスリランカで過ごし、その風土と文化、人々をこよなく愛している」なんのことはない、第三世界を収奪している「グローバル」企業のオーナーがオリエンタリズムとモダニズムのアマルガムとして世界的な日本人建築家のロゴを現地に求めただけではないか。もちろん私はそれを批判できる立場にはいない。しかし安藤忠雄という才能が結局のところ、革命ではなく資本主義のアイコンへと堕してしまったことは否定しがたい。飯島はこの状況を次のように評している。「こうした事情は世界の建築界においても、まるで同じことである。いわば世界の建築の動向は、安藤忠雄『らしい』建築が、つまり定番商品が欲しいというマーケットの欲望の中で、常にくるくると回り続けているのである」
「マーケットの欲望」というキーワードを得て、話題を変えよう。先般、東京国立近代美術館で「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である」という長いタイトルの展覧会が開かれた。台湾のヤゲオ財団が収集した現代美術の名品を紹介する展覧会であり、現在も国内を巡回しているはずだ。リヒターやデ・クーニング、杉本博司からグルスキーまで私好みの作品も多く、展示された作品のクオリティーはかなり高い。しかし私はここに展示された作品が形式においても内容においてもいかにもばらばらであることを不審に感じた。その理由は本書を読んで腑に落ちた。飯島は安藤のロゴを求めるようなクライアントがしばしば現代美術のコレクションを有することを指摘し、辛美沙の文章を引用してこのようなクライアントの人物像を描写している。それによれば「情報技術の革新と金融のグローバル化に伴い、プライベートジェットで好きな場所に行き来し、超高級デザイナーズコンドミニアムを世界中にいくつも所有し、マンションに住まうヘッジファンド長者たちにとって、安ものの作品で自宅の壁を飾ることなどありえない。高額のアートを買うことは、豪華なクルーザーを所有し、秘境の高級リゾートに出かけ、子供をスイスのボーディングスクールに通わせ、プラダやグッチを身にまとうことと同様に、ライフスタイルの一部であり、あるソーシャルキットに属するための必須アイテムなのだ」この描写にヤゲオ財団があてはまるかどうかは今は措く。しかし私にはそこに展示されていた作品のラインナップが安藤の建築同様に、富裕層にとって共通のアイコン、チャールズ・ジェンクスのいうアイコン建築ならぬアイコン美術作品で占められていたように感じられたのだ。それであれば作品の統一感のなさも了解される。確かにヘッジファンド長者たちは一昔前のバブル長者のように、作品を投機の対象とみなしてはいないかもしれない。それは彼らの生活、正確には帰属する階級のシンボルなのだ。むろん美術品とは常にそのようなものであったかもしれず、それが動産である以上、対価を払って所有することは可能だ。しかし私はこのような意識に基づいて作品を収集することが正しいとは考えない。少なくとも私が作品に求める価値とは異なる。このようなアイコン美術作品を麗々しく並べて、コレクションを顕揚することが果たして美術館が果たすべき役割であろうか。私はこの展覧会を東京で見たが、その際には作品の横に作品価格にかんするインフォメーションが掲示されていたと記憶する。それはアイコン美術作品に対するアイロニーというより、端的に美術館が「マーケットの欲望」に跪拝した敗北宣言のように感じられた。
美術館や展覧会という制度と関連させながら、飯島は建築と芸術を峻別する。「何よりも重要なのは、建築はそれを使う人たちのためのものだという当たり前の事実である。だからお金を出す人よりもそれを実際に使う人の意見を素直に聞くのが、本来の建築家の正しい在り方である。この当たり前の仕事が、本質的に全ての建築家に使命として求められている。その意味で建築家とは芸術家ではなく、あくまでも設計技術者であるべきである」この意味において飯島は美術館における「建築展」に対しても批判的である。「こうした事態に並行するのが、一部の美術館の学芸員の、建築に対する最近の際立ったスタンスである。一部の学芸員は、若手建築家の、『建築』としては構造的にとても実現できないプロジェクトを面白がって、それを『建築作品』として自分たちの美術館で堂々と展示している」石上純也らを例証としてなされるこの批判は重要である。建築に関わる展覧会は現在も流行しているが、それは特定の場所にしか存在しえない建築を、美術館という特権的な場所に導入するという本来的に不可能な試みである。しかしアースワークの作品が様々な手法でギャラリーや美術館に持ち込まれて売買されたように、今や建築に付随する様々の表現が美術館で展示されている。本書で手厳しく批判される二人の建築家が自分の名を冠し、自分自身の「建築」を展示する美術館を設計していることは偶然ではないだろう。本来であれば施主に属すべき情報が「マーケットの欲望」に応じて、「作品」化されて麗々しく美術館に展示される。ここでも美術館は「マーケットの欲望」に奉仕している。私は美術館がこのような欲望から超然としてあれ、といった理想論を打ち上げるつもりはない。そもそも「近代美術館」にホワイトキューブの空間が成立したことによって、私たちはあらゆる時代、あらゆる地域から「美術作品」を拉致して、「展覧会」という制度に接続させることが可能となったのであり、美術館がかかる建築、かかる制度と密接に結びついている以上、革命に代わって資本に殉じる建築や美術を私たちはたやすく否定することはできない。
本書はきわめてペシミスティックな言葉で結ばれている。「結局、いくら資本主義を激しく批判しても、最終的な結末は資本主義の勝利に終わるのである。(中略)したがって建築家は、これからも、イデオロギー抜きの趣味的な社会で、ただ資本主義体制に倣っていくだけである。少なくとも、いま、はっきりとわかっていることは―これは絶望的な事実であるが―ただ、それだけなのである」今後建設され、神宮外苑の歴史的景観を完膚なきまでに破壊するザハ・ハディドの新国立競技場はこのようなペシミズムを絶えず想起させるまことにネガティヴなアイコンとなるだろう。金だけがものをいう建築、美や完成度ではなく市場価値のみを価値基準とする美術。革命の終焉から半世紀、私たちが生きているのはなんとも寒々しい世界だ。
【書評】
「らしい」建築批判 飯島 洋一 著
[評者]高島直之
http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014101902000173.html
生活支える目的置き去り
書名の「らしい」とは、ある建築家が独特の表現スタイルをもっていることにおいて、その作家「らしい」独自性を指す。その「らしさ」がブランドとなり世界の富裕層に流通して設計依頼が集中し、ついには人々の生活世界の基盤を支えるはずの建築本来の目的を忘却していくとしたら…。
その具体例として、二〇一二年に決定した新国立競技場設計競技の最優秀賞の建築家ザハ・ハディドの案を挙げる。著者は、それが建築予定地の環境に適していないこと、この構造で実現すると予算をはるかに超えるのみならず、維持費が掛かり過ぎることを指摘する。ではなぜ選ばれたかといえば、五輪祭典にかなうスター建築家の「らしい」デザインを審査員たちが求めたからで、その後に五輪東京招致が決定したのも、ハディド案がそのための強力な売りモノになったからだという。
この個性的で「らしい」表現の出発には、伝統から離れて前衛的な表現を試みた二十世紀前半のモダン建築家がいたが、彼らには、規格化を推し進めて安価で質の高い住宅を大量に提供しようとする社会変革家としての精神があった。しかし現代の「らしい」建築家たちはそれを喪失し世俗的な趣味性に陥っている、と著者はいう。この変貌をたどるために歴史学での、また建築史におけるモダニズム論を多くの文献によって検証している。
ここでは、建築を「技術と普遍性」から捉えるのか、あるいは「独創と唯美性」に仮託するのかという、歴史的な背景をもつ対立構図が浮かび上がってくる。東日本大震災での仮設住宅にいまも八万人以上が暮らしている現在において、本書の批判は説得性に満ちている。建築界内部の話題に終わらせずに、一般の人々の中で議論されることを願うものである。
ハディドのほか、安藤忠雄、伊東豊雄、SANAA、フランク・ゲーリー、石上純也、レム・コールハースらの作品が俎上(そじょう)にあげられている。
(青土社・2592円)
(sk)
「建築家とは芸術家ではなく、あくまでも設計技術者であるべきである」という飯島洋一の言葉から、考えさせられることは多い。
建築家が芸術家である必要はないけれど、ではデザインは誰がするのかという問題は残る。
建築家とデザイナーの違いは国によって異なる。
また、建築の仕事が複雑になり、デザインの仕事が多岐にわたるようになると、「デザイン=美的なもの」というわけにはいかなくなる。
音響デザイン、エコロジーのデザイン、環境デザイン、設備のデザイン、安全デザイン、災害に関するデザイン、障がい者のためのアクセス・デザイン、健康や公衆衛生に関連したデザイン、インテリア・デザイン、コンピュータ・システムや通信に関連したデザイン、地質や地盤に関するデザイン、庭園や風景に関するデザイン、照明デザイン、交通や駐車場に関するデザイン、郵便物や搬入物に関連したデザイン、ヴィジュアライズなどを専門にする 3D デザイン、構造計算などを主体にした CAD によるデザインなどなど、実際の要求に合わせてデザイン作っていく仕事は、容易なものではない。
マスタープランナーが、こんな感じでと言ったところで、その通りにいくものではない。「こんな感じで」というアイデアは、制約になることはあっても、建築を良くするのの役には立たないのだ。
「建築家とは芸術家ではなく、あくまでも設計技術者であるべきである」という飯島洋一の言葉は、だから、「建築家とは芸術家などという単純なものではなく、ありとあらゆる要求を満たすトータル・コーディネーターであるべきである」と理解すればいいのかもしれない。
そんなことをしたら消防法違反ですとか、そんなばかでかい空間では冷暖房のコストがかかりすぎますといったことの数は、列挙すれば数千になる。そのひとつひとつを満たすのは、有名な「建築家」の「ベーシック・デザイン」などとは比べものにならないくらい大変なことなのだということを、今一度考えたほうがいい。