ミャンマーことビルマは、もともとは仏教を信ずるビルマ人の国だった。
十九世紀、この国を征服した英国はすぐに大量のインド人と華僑を入れて金融と商売をやらせた。さらにモン、カチンなど周辺の山岳民族を山から下ろしてキリスト教に改宗させ、彼らに警察と軍隊を構成させた。単一民族、単一宗教のビルマはこれによって多民族、多宗教国家に改造され、この国の主たったビルマ人は農奴に落とされてしまった。
第二次大戦後、ビルマの歴史はビルマ人が再び国を取り戻すための涙ぐましい努力で彩られている。ネ・ウィンは鎖国を命じたために経済は停滞してビルマは最貧国に落ちた。彼はまたデノミと徳政令を何度もやった。貿易をとめられたうえに徳政令では経済と金融を握っていた華僑やインド人には何のうまみもなくなって、ビルマから出て行った。残るは警察と軍隊を握る山岳民族だが、ビルマ人は山に帰れとは言わず、共存を訴えた。
その証としてビルマ人の国を意味する「ビルマ」をミャンマーに変えた。植民地支配の残した負の遺産をだれのせいにするでなし、国名も変え、貧しさに耐えつつ平和的に解決した例を他に知らない。
そういうビルマ人の努力をすべてぶち壊しているのが性悪のアウンサン・スーチーだ。彼女は植民地時代の支配階級だった山岳民族やビルマ人不満分子を糾合し、政権奪取を狙う。彼女の後ろで英国が舌なめずりしているのを彼女自身も知らない。
アウンサン・スーチーは善人か
週刊新潮
2005年4月21日
アウンサン・スーチーは善人か
高山正之著
新潮社
(ankozunda)
http://blogs.yahoo.co.jp/nipponko2007/18611420.html
イギリスの植民地政策の基本は、少数民族を優遇して、多数派の部族と喧嘩させ、内乱を誘発させて、国を挙げてイギリスに抵抗できないようにしながら支配するという巧妙なやり方をしていました。だから、イギリスの植民地だった国は、独立した後でも、部族間での争いが絶えないのです。ビルマも同じようなやり方で支配していたので、民族間の争いが絶えないようです。それを今のビルマ族主体の軍事政権は、かろうじて治安を保っています。それを、イギリスの傀儡のアウンサン・スーチーが、民主化の名の下に、かろうじて保たれている秩序を壊そうとしているのを憂慮しています。