中山清治

喫茶養生記は、栄西が在宋中に見聞しあるいは経験した茶の栽培法、飲み方、採取法、効能等を述べている。またこの他、桑の飲み方効能を記している養生書である。
栄西が再度入宋をした頃、宋では禅宗が盛んであり、当然栄西も禅の修業に励んでいる。禅宗は専一に瞑想することによって仏の悟りに入ると言われており、長時間の瞑想が睡魔に襲われ心身の疲労をきたすということが起こる。茶を飲むことによって疲労を早く回復することが出来、更に精神をも爽快にすることが出来る。中国では茶が古い時代から一般に飲用されていたことは栄西も述べている。
宋の禅僧は特にこうした茶の効用に着目し、睡魔を防止し疲労の回復をはやめることが出来ることから、長時間の瞑想に堪えるためには茶の飲用は欠かせないものであると考えたのである。
したがって禅僧は菩提達磨の像の前に集まり、深厳な儀礼の下に一椀の茶を飲み、これを茶の儀礼としたとされている。留学した栄西もこうした茶の儀式に加わり、自ら茶を飲み。茶の効用を体験し、禅の修業とともに茶に関する儀式を学んだものと思われる。
栄西は茶に興味を抱き、留学中に様々な文献から、あるいは口伝から茶に関する養生法と知識を得ようと努力をした。また当時、茶と並んで養生法の1つとされていた桑の療法を知り、この二つを合わせて持ち帰り、目的とするところは禅の普及にあったが同時に喫茶の習慣を国内にも広めようと考えたのであった。

3 thoughts on “中山清治

  1. shinichi Post author

    喫茶養生記

    茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり。山谷之を生ずれば其の地神霊なり。人倫之を採れば其の人長命なり。

    天竺、唐土、同じく之を貴重す。我が朝日本、亦嗜愛す。古今奇特の仙薬なり。

    摘まずんばある可からず。

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    上下2巻からなり、上巻では茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする茶の効用が説かれ、下巻では飲水(現在の糖尿病)、中風、不食、瘡、脚気の五病に対する桑の効用と用法が説かれている。このことから、茶桑経という別称もある。書かれた年代ははっきりせず、一般には建保2年(1214年)に源実朝に献上したという「茶徳を誉むる所の書」を完本の成立とするが、定説はない。

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  2. shinichi Post author

    明菴栄西

    https://ja.wikipedia.org/wiki/明菴栄西

    明菴栄西(1141年―1215年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧。臨済宗の開祖、建仁寺の開山。天台密教葉上流の流祖。字が明菴、
    諱が栄西。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られる。

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    建久2年(1191年) 虚庵懐敞より臨済宗黄龍派の嗣法の印可を受ける。同年、帰国。九州の福慧光寺、千光寺などで布教を開始。また、帰国の際に宋で入手した茶の種を持ち帰って栽培を始め、日本の貴族だけでなく武士や庶民にも茶を飲む習慣が広まるきっかけを作ったと伝えられる。

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    日本曹洞宗の開祖である道元は、入宋前に建仁寺で修行しており、師の明全を通じて栄西とは孫弟子の関係になるが、栄西を非常に尊敬し、説法を集めた『正法眼蔵随聞記』では、「なくなられた僧正様は…」と、彼に関するエピソードを数回も披露している。なお、栄西と道元は直接会っていたかという問題は、最新の研究では会っていたとされる。

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