戦後の日本は、一方で、アメリカ化していって、少なくとも表面上はすべてアメリカ的なものを受け入れてきたわけです。しかし、他方で、本当の意味で首から下まで全部アメリカ化したかといったら、それは決してそんなことはない。それほど簡単に国の習慣とおいものが変更されるわけがないのです。だけれども、1990年代以降、アメリカ的な自由と民主主義、市場経済、科学主義、個人主義、成果主義、能力主義といったものをほとんど無条件で礼讃するという方向に一気に流れてしまいました。これ自体が、私には日本はまだアメリカの占領政策を脱却できていないということに思えるのです。戦後の日本の進む方向が間違ってしまったことを、まずは見極めることが重要なのです。そのうえで、何がわれわれの中に残っているのか、何を日本的価値として再現すべきか、というところに戻ってきているようです。
危機へ向かう現代文明
by 佐伯啓思
https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2013/11/201304_88.pdf
結局、「グローバリズム」とは、言い換えると人間の自由を無限拡大するというプロセスなのですね。一方で、「民主主義」とは、多数の人々の意思を政治に反映することによって、人間のさまざまな欲求や利益を実現できる社会をつくるという考え方です。ですから、自由の物質的拡大である経済的グローバリズムや富の追求を基本とした社会が今日の自由民主主義ということになります。 これは近代社会の極限なのですね。そうした極限的な状況が今、完全に行き詰まっているということは、近代社会をつくり上げた自由民主主義という考え方・理念が限界に達しているということだと思うのです。