吉田健一 1 Reply 近代的であるというのは、例えば日本とヨーロッパの現実は違うということを知ることなのである。そのために一命を失った日本の近代人もいる。 無意味に生きていること以外に、生きていることに意味はない。 旅行している時に本や雑誌を読むの程、愚の骨頂はない。読むというのは、そこにあることの方へ連れて行かれることだ。 迷ったらば迷ったで進む。 先駆者というのは皆そうである。
shinichi Post author14/12/2014 at 10:29 pm 東西文学論 by 吉田健一 (1955年) 近代的であるというのは、例えば日本とヨーロッパの現実は違うということを知ることなのである。そのために一命を失った日本の近代人もいる。 ** 三文紳士 by 吉田健一 (1956年) 無意味に生きていること以外に、生きていることに意味はない。 ** 定本落日抄 by 吉田健一 (1976年) 旅行している時に本や雑誌を読むの程、愚の骨頂はない。読むというのは、そこにあることの方へ連れて行かれることだ。 迷ったらば迷ったで進む。 先駆者というのは皆そうである。 Reply ↓
東西文学論
by 吉田健一
(1955年)
近代的であるというのは、例えば日本とヨーロッパの現実は違うということを知ることなのである。そのために一命を失った日本の近代人もいる。
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三文紳士
by 吉田健一
(1956年)
無意味に生きていること以外に、生きていることに意味はない。
**
定本落日抄
by 吉田健一
(1976年)
旅行している時に本や雑誌を読むの程、愚の骨頂はない。読むというのは、そこにあることの方へ連れて行かれることだ。
迷ったらば迷ったで進む。 先駆者というのは皆そうである。