志村ふくみ 1 Reply 緑の色は直接出すことができないが、そのかわり、青と黄をかけ合わせるこおによって緑が得られる。すなわち、藍がめに、刈安・くちなし・きはだなどの植物で染めた黄色の糸を浸けると、緑が生まれるのである。ほかの色は色が染まるというのに、緑のときだけはなぜか生まれるといいたくなる。
shinichi Post author01/03/2016 at 6:04 pm 色を奏でる by 志村 ふくみ photographed by 井上 隆雄 ** 緑という色 生きとし生けるものが、その生命をかぎりなくいとおしみ、一日も生の永かれと祈るにもかかわらず、生命は一刻一刻、死にむかって時を刻んでいる。とどまることがない。その生命を色であらわしたら、それが緑なのではないだろうか。 朝、太陽がさし昇るとき、天地は金色の光に包まれ、夜、闇が迫るとき、天地は青い幕に閉ざされる。この大自然の循環は、光に近い色は黄色であり、闇に近い色は青であることを私たちに教えてくれる。この黄色と青こそは、あらゆる色彩の両極をなす二原色であり、その間に無量の色彩が存在する。 Reply ↓
色を奏でる
by 志村 ふくみ
photographed by 井上 隆雄
**
緑という色
生きとし生けるものが、その生命をかぎりなくいとおしみ、一日も生の永かれと祈るにもかかわらず、生命は一刻一刻、死にむかって時を刻んでいる。とどまることがない。その生命を色であらわしたら、それが緑なのではないだろうか。
朝、太陽がさし昇るとき、天地は金色の光に包まれ、夜、闇が迫るとき、天地は青い幕に閉ざされる。この大自然の循環は、光に近い色は黄色であり、闇に近い色は青であることを私たちに教えてくれる。この黄色と青こそは、あらゆる色彩の両極をなす二原色であり、その間に無量の色彩が存在する。