かわゆき子にも旅はさせよといひ、恋は道ならぬ道もあれば、ふみ迷ふさのゝ舟ばし親もさけて、あだし心はいさ神とてもいさめずやはあらむ。さてしも世にたへぬすさびにて、身にこそ人のいましむべけれ、其くまぐまは尋わけてぞ物の哀もしる端なるべきを、歌にはもとよりもつぱらにして、荻の上葉に問はぬをうらみ、有明の月にわかれをかこつより、沖の石に涙をかけ、衛士のたく火に思ひをよそへて、たとへ雲かゝる高間の山も、なみよする高師の浜も、てにはの詞に品はかざれども、逢ふの・別るゝの・忍ぶぞ・うらむぞと、只一筋の情のみをいひて、女の男を思ふやらむ、男の女をしたふやらん、姿に千変の品はわかれず。
恋説
in 鶉衣
by 横井也有
http://www.geocities.jp/haikunomori/yayu/y_uz16.html
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かわゆき子にも旅はさせよといひ、恋は道ならぬ道もあれば、ふみ迷ふさのゝ舟ばし親もさけて、あだし心はいさ神とてもいさめずやはあらむ。さてしも世にたへぬすさびにて、身にこそ人のいましむべけれ、其くまぐまは尋わけてぞ物の哀もしる端なるべきを、歌にはもとよりもつぱらにして、荻の上葉に問はぬをうらみ、有明の月にわかれをかこつより、沖の石に涙をかけ、衛士のたく火に思ひをよそへて、たとへ雲かゝる高間の山も、なみよする高師の浜も、てにはの詞に品はかざれども、逢ふの・別るゝの・忍ぶぞ・うらむぞと、只一筋の情のみをいひて、女の男を思ふやらむ、男の女をしたふやらん、姿に千変の品はわかれず。
俳譜は万化にくだけて、老若貴賎をわかつより、姿に自由の働あれば、井筒がもとのうなひ子の手鞠もらふたる情わすれず。源内侍の十夜参りは紅裏に名をたてゝ、逢ふの待つのと詞にはもたれず、其句の姿に恋を見すれば、恋を一句で捨る事かと他門の初心の迷ふもこゝならん。しかればかの法師の筆にもかける、まこと男女の情は雛の夫婦に立ならびたる中をのみいふものかは。逢はでよめりし娘を思ひ、小ぶとき乳母をかこち、長廊下にまどひ明し、向ひの女房を詠(ながめ)やり、浅茅が宿に後家忍ぶこそ色このむとはいわめ。
殊に都のおそるべき所々に遊里の軒をきしれば、しばし社親の関守もかたけれ、物よみ謡のつれにさゝやかれ、東は朝日の陰なる遊びもつのれば西にかたぶき安く、もらひの成りし夜は面白く、くぜつにあけし暁はおかしく、うそは誠にかくれ恨は情に負けてより、人のいさめ世の謗りも行過の古みに見下し、宿はおるすの夢のうき橋程なくとだへして、奢る者など久しからむや。秋風内証にふきわたり、出口の柳身すぼげに散初るより、丹波口の茶屋も見ぬ顔して、身をこりずまの浦ならずもうしろに山の借金負となれば、今出川の家も質に流れ、姉が小路の妹婿よりよすが求て今ぞ落目の堺に下り、わづか二三年の夢茫然とさめて、おもへば千束の文は何の為に成けるぞや。むかしの孔子も今の伯父坊も異見はこゝの事なるべし。
新町ちもりの夕ぐれ、木辻鳴川の曙、もろこしちかきまる山とても同じ恋風はふきかよへど、猶とりどりにかわる俤は色をも香をも知る人やしるらん。まして江戸桜の花やかに、人の心のはりもつよく、上野浅草の花ぐもりより箕輪の雨の名にぬれて、土手の露ふむ戸なし駕より今戸の舟のこがれよるこそと、遊びに巾の広がり安きはさしもむさし野のふか入する人もすくなからじ。波にうかるゝうかれめ・草に音をなく辻君(つじぎみ)・白人(はくじん)・比丘尼(びくに)・野郎・影間(かげま)、それとて売かふものはさらなり、御油赤坂の留女さへおかしからぬ事もよく笑ひて、ねよげに見ゆる旅人になじみの文よみてもらひ、さし足袋売たるえにしより七日つゝしみし始末もやぶれて、一夜の露に落やすきはいさ此道のならひならぬかは。
それよりの世のさま人しれぬ事のみ多き中に、お比丘尼のかたみわけににげなき文の箪笥から出たるも、若旦那の鼻毛ぬきを物縫の部屋に見付けたるも、皆々跡のまつりなれど、物いひさがなき世にしあればうき名は千里に立安きを、蚊をやく紙燭(しそく)にいねわるき蚊屋をすかし、小豆角つむ垣ねより隣の行水を覗くなど、わづかに蟻穴のあやまり心ながら、身をはふらかす端とも成べしや。されば社呉服屋の手代は思はぬぬれぎぬ着て、浅ましき編笠に化け稲荷の前に紙屑をひろへば、四条河原へ売たる子の大名に抱られ親までゆたかなる扶持かたを得て、長がたなの銀こじりはひとへに我子の光ながら、むかしの念仏講中はからかさ戻さぬ謗(そしり)ものこるべし。これらや一生の浮沈なれど、其源はたゞかりそめの檜原が露の契りにはじまりけん。
しかるに色白なる畳さしありて屋敷がたにてたばこ入をもらひ、琴の指南の検校が月見の夜から出入とめられたるなど、あるはお寺から手を廻して山帰来買るゝも、飯のくわるゝ痞(つかへ)に折々針立の泊りて行も、わけを糺の神にとはゞ表八句につかはれぬ事も有べし。又は風俗にいにしへ今のたがひもありて、律義なる漢帝は反魂香(はんごんこう)をたきてよすがら夫人の面影をしたひ、栄耀なる隠居は地黄丸をのみて季時に飯焼の器量をえらむ。猫にひかれて見そめし夕べは玉だれのへだてをかこち、蚤に喰れて待侘し夜は古夜着の恨あかすなど、をのづから貴賎のけじめなきにも有るべからず。慈鎮和尚の真葛が原も破戒の罪のそしりもなければ、其身に恋をせよとにはあらず、恋に心の覚束なかりせば、前句に対して趣向はありても句作も道具も取つくかたなく、思ふにも手のとゞかぬは具足着て灸を掻くより猶不自由のくるしみあるべし。
いでや恋といひ旅といふ、旅はかたちを労じて情は後なるべく、恋は情を先にして哀は姿に品をわかてば、内外いさゝか先後のたがひもあらむか。さらば句案の上にも其心あらざらむや。おそるべし、かゝる説は饒舌の罪おふべくして只後の君子をも待べきを、忍びもはてずして筆とり侍る。これもまた恋の闇に迷ふたぐひかも。
寛保二戌秋
寛保2年、也有41歳の作。
ここでの「恋」は俳諧の用語であり、ロマンチックラブに限らず広く色事全般を指します。売春・姦通・男色はもとより、セクハラ・性犯罪も恋の内です。
まず和歌の恋から始め、それは表現は多彩だけれど恋の情は限られて変化がないといいます。これに対し俳諧はあらゆる社会階層の様々な恋の諸相を自由に読みます。和漢古今の古典を縦横に、というかしつこいくらい引用し、遊里を中心に世情に通じたところを見せています。也有らしい、俳文らしい一編です。語注が本文よりずっと長くなってしまいましたが、まだ足りない状態です。読みにくいですが、こらえてください。
このことは「去来抄」ほか芭蕉門の俳書に見えるが、他門からは非難もあった。
吉原に通い詰めた通人は尻に猪牙胼胝(たこ)が出来たというが、まあホラ話であろう。なお「こがれよる」は漕がれ・焦れの洒落。
辻君は、夜道ばたに立って客を誘うのでこう呼ばれた。夜出るから「夜鷹」、蹴転ばしていたすので「けころ」など類似業種多し。
白人はシロートの意。上方の新地島原周辺で営業した私娼。芸事をしないのでこう呼ばれた。
比丘尼は「出家して仏の弟子となった女性」つまり尼のことだが、ここでは尼姿の私娼。コスプレみたいなもの。人の趣味は様々であり、それに応える商売もまた色々である。
野郎・影間(陰間)は男娼。江戸時代は随分需要があったようで、陰間茶屋が繁盛した。
あの慈円は天台宗の座主を勤めた高僧なのに随分色っぽい歌を詠んだ。しかしそれは芸術作品上のことだから、誰も破戒坊主だと非難したりしない。ちなみに、この歌はすごい傑作だと思います。
ここで恋の句を付けるべき場面だと思っても、恋の情について全く朴念仁では趣向を具体化する素材も浮ばず、佳句は生れない。実際に遊里に遊んだり後家に言寄ったりしろと言うのではないが、貴賎にわたる恋の情趣についての心得は必要である。……と、大体こんな事を言っている。まあ、この文全体が、筆者が遊里の風俗に通じている事をひけらかす気味がある。
連句の実際に疎いのでこの辺が良く判らないが、支考「続五論」にある姿情論を念頭に言っているのであろう。