私たちは、例えば、肩に不快感があったとき肩が凝った、お腹の具合が悪ければお腹の調子が悪いというように認識します。しかし、胸部に不快がある場合は、胸が苦しいと認識するよりも、心が苦しいと認識するところがあります。これは、人間の体は、感情と胸部の感覚が連動する造りになっているということを示す事象だと考えています。
私たちには、心に関する大きな思い込みがあると考えています。それは、『人には心があり、心が自分そのものだ』といった感覚です。
自分の心がどこにあるのかを感じてみて下さい。「脳が考えるのだから頭にあると思う」などと、どこにあるのかと考えるのではなく、どこにあると感じるかです。人によって感じる場所に多少の違いがあるのですが、多くの人は、胸の中央の部分に感じると思います。
心の本質
in あなたにもある心を回復する機能
by 田中順平
『心』という言葉は概念として創造されたもので、それが実際に存在するかどうかということは、定かなことではありません。そんな心について、もう少し詳しく説明します。
私たちは、例えば、肩に不快感があったとき肩が凝った、お腹の具合が悪ければお腹の調子が悪いというように認識します。しかし、胸部に不快がある場合は、胸が苦しいと認識するよりも、心が苦しいと認識するところがあります。これは、人間の体は、感情と胸部の感覚が連動する造りになっているということを示す事象だと考えています。
私たちには、心に関する大きな思い込みがあると考えています。それは、『人には心があり、心が自分そのものだ』といった感覚です。
自分の心がどこにあるのかを感じてみて下さい。「脳が考えるのだから頭にあると思う」などと、どこにあるのかと考えるのではなく、どこにあると感じるかです。人によって感じる場所に多少の違いがあるのですが、多くの人は、胸の中央の部分に感じると思います。
その理由を私なりに想像してみます。
まず、身体の構造的なことから説明してみたいと思います。
私たち人間は、思考は頭で行います。しかし、思考によるストレスで頭が苦しいと感じてしまうと、継続して考えられなくなっています。そこで思考によるストレスが生じても思考を継続できるように、感じる場所を頭部から分離する必要があり、それを胸の辺りに感じるような身体的な構造になったのだろうと想像しています。
次に、なぜ、それを心だと思い込んでしまうのかというと、私たちは物心がついた頃から、例えば、
・楽しいことがあれば、胸がワクワクする
・つらいことがあれば、胸が苦しくなる
・恋をすれば、胸がキュンとなる
といったように、感情を胸に感じるという体験を繰り返しています。この体験と「感情は心が感じる」という概念が結びついて、私たちは、胸の辺りの様々な感情的なことを感じる部分を心と認識し、更に、心は自分自身だと思っているところがあるのです。