僕らには積もり積もった辟易という共通点がある。ここ数年で大手メディアがこぞって発信するようになった「貧困コンテンツ」についてのいらだちだ。
ドロップアウトを経験したことのない優等生的大手メディアの記者や、エロと貧困の現場なんか縁もゆかりもないナントカ先生たちがいきなり現れて、したり顔で浅はかに女性の貧困とセックスワーク界え隈えの諸問題を語る。
社会の裏側とははるかに遠いところに生きてきた彼らは、取材対象者を自力で見つけることもできず、安直に困窮者の支援サイドからの紹介や、そもそもみずから「苦しい、助けて」と声を出せる困窮者を報道した結果、見逃せない弊害も生まれてきてしまった。
貧困とセックス
by 中村淳彦, 鈴木大介
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はじめに
by 鈴木大介
世間の評価も分かれる二人(注: 対談者の鈴木大介氏と中村淳彦氏)だが、僕らには積もり積もった辟易という共通点がある。ここ数年で大手メディアがこぞって発信するようになった「貧困コンテンツ」についてのいらだちだ。
ドロップアウトを経験したことのない優等生的大手メディアの記者や、エロと貧困の現場なんか縁もゆかりもないナントカ先生たちがいきなり現れて、したり顔で浅はかに女性の貧困とセックスワーク界隈の諸問題を語る。
社会の裏側とははるかに遠いところに生きてきた彼らは、取材対象者を自力で見つけることもできず、安直に困窮者の支援サイドからの紹介や、そもそもみずから「苦しい、助けて」と声を出せる困窮者を報道した結果、見逃せない弊害も生まれてきてしまった。
たとえば、貧困とセックスワーカーの世界では、「セックスワークを被害的に感じている当事者、元当事者」の声が主に拾い上げられ、結果としてアンダーグラウンドながら貧困者の互助的なセーフティネットとして機能してきたセックスワークやナイトワークを「加害者として排除し、規制する」流れが加速しつつある。
そもそも、貧困とセックスワークの相関は昨今始まった問題ではなく、それこそあのバブル時代にだって社会の低層でずっと存在し続けてきたものだ。
取材する中で、母親に客を紹介されて未成年のころから売春をしている少女がいた。その母もまた、母に言われて売春をしてきた。平成日本の話だ。少女には、幼くして一家の稼ぎ手としてお金を稼いでいるというプライドがあった。
悲惨な虐待家庭から逃げ出して、東京の街角を補導員に怯えながらさまよい、スカウトに紹介された売春組織で稼ぐことを覚え、客の名義でアパートを借りて、自力で生活している少女。彼女にとって何よりも怖かったのは、その自由が大人によって壊され、彼女の心身をズタズタにするまで虐げ続けた親権者の元に送り返されることだった。
彼女たちは貧困な生い立ちの被害者ではあるが、セックスワーカーであることに被害者感情はなかった。そこに四角四面な法と規範を押しつけることが、なぜ彼女らが戦い抜いてきた人生と人格を否定することだとわからないのか。