3.11 大津波の対策を邪魔した男たち(島崎邦彦)


まわりで、おかしなことが起こっている。それはわかった。
今思えば、まわりに多くの原発関係者がいた。その人たちは何が起こっているかを、わかっていたと思う。が、声をあげた人はわずかだった。その声は多くの人には伝わらなかった。もし私が背後の動きを察することができたらと、本書を書き終えてから想像する。結局、何もできなかったかもしれない。

大事なことは声をあげること、広く声を伝えること、そしてみなで支えることだ。

3 thoughts on “3.11 大津波の対策を邪魔した男たち(島崎邦彦)

  1. shinichi Post author

    3.11の大津波から12年
    渾身のノンフィクション

    国の地震対策本部責任者で地震学者が内部から告発!
    きちんと対策すれば、大津波地震による福島原発の事故は防げ多くの人たちが助かった。
    しかし東京電力と国は、対策をとらなかった。
    いったい、何があったのか? なぜ、そうなったのか?
    そして、いまも状況は変わっていない。

    二〇一一年の3・11大津波と原発事故は、多くの人たちの命を、暮らしを、家族と友を……全てを奪った。今もたくさんの人たちが苦しんでいる。
    この災いは、どのようにして起こったのか。なぜ、止めることができなかったのか。やりきれない思いを胸の奥にとどめて、多くの人たちが忙しい毎日を過ごしているのではないか。
    何が起こったのか。それを知って欲しいと思い、私はこれまで科学雑誌で書いてきた。この本には、これまで書いたことのまとめと、あたらしくわかったことを書いた。そして私が思ったこと、感じたことも書いた。この災害は人災だと思う。
    大津波の警告は、二〇〇二年の夏、すでに発表されていた。この警告に従って対策していれば、災いは防げたのだ。3・11大津波の被害も原発事故も防ぐことができたのである。
    「まえがき」より

    まわりで、おかしなことが起こっている。それはわかった。
    今思えば、まわりに多くの原発関係者がいた。その人たちは何が起こっているかを、わかっていたと思う。が、声をあげた人はわずかだった。その声は多くの人には伝わらなかった。もし私が背後の動きを察することができたらと、本書を書き終えてから想像する。結局、何もできなかったかもしれない。
     大事なことは声をあげること、広く声を伝えること、そしてみなで支えることだ。本書がその一助になれば、これにまさる喜びはない。
    島崎邦彦 

    **

    目次:

    まえがき
    主な登場人物
    原子力ムラ相関図

    第一章 東京電力、ウソで保安院の要求を断る

    地震学の専門家として告発する
    3・11の大津波は人災だった
    二〇〇二年八月一日
    二〇〇二年八月五日、保安院からの要求
    隠された事実
    谷岡・佐竹論文の怪
    政府、四省庁の報告書

    第二章 不都合なる津波評価

    『津波評価技術』
    東京電力に都合の悪い海溝型分科会
    地震と津波の専門家たちの関係
    『津波評価技術』と「長期評価」

    第三章 発表を事前につぶす動き

    内閣府の圧力
    原子力ムラの掟
    「発表内容を変える」内閣府からの突然のメール
    上から目線の内閣府に抵抗する地震本部
    大臣どうしの軋轢
    津波や地震の警報をゆがめる動き

    第四章 問題は津波地震、それを隠そうとする愚

    原発は大丈夫か?
    問題は津波地震
    内閣府の圧力について話す
    政府事故調の知らん顔
    「長期評価」後の地震調査委員会のタブー

    第五章 津波や地震に備える必要がない、とは

    ねじ曲げられた「長期評価」
    中央防災会議
    一〇メートルを超える津波が出ないように
    福島県沖の津波地震は対象外
    北海道ワーキンググループの役割
    福島県沖の津波
    三陸の津波地震
    防災の対象とする地震とは
    中間報告の記者会見で消えた福島県沖の津波地震対策
    ゆるい対策の地域で大多数の人が犠牲になった

    第六章 津波の予見性

    信頼度と確実度も内閣府に都合のいいように強制された
    紛糾する調査委員会幹部打ち合わせ
    確実度が信頼度に
    信頼度をめぐるフラストレーション
    阪神・淡路大震災後の新指針
    新指針による見直し
    最も対策が必要とされた福島第一原発
    見直しの中間報告の問題点
    福島第一原発の津波計算
    専門家に意見書を書かせる
    仙台高裁判決
    「長期評価」をめぐる裁判

    第七章 痛恨、津波マグニチュード8・2

    「長期評価」はなぜ書き直しされたのか
    東京電力と阿部勝征さんとの会合
    福島第一原発に打ち上げる津波の高さ
    阿部論文を詳しく紹介する

    第八章 東京電力が影で動かす『新・津波評価技術』

    東京電力による専門家への根回し
    見直しの中間報告が認められた
    ないがしろにされた「長期評価」
    間に合わない対策
    対策をとるのも一つ。無視するのも一つ
    東京電力の津波堆積物調査
    そして対策はされなかった
    貞観地震の断層モデルは使えない

    第九章 陸の奥まで襲う津波

    貞観地震の大津波
    五年計画の調査でわかった貞観津波
    保安院と東京電力の貞観地震に対する根深い相違
    「長期評価」第二版(案)
    強い警告になるか
    秘密会合での書き換え

    第十章 こうして3・11津波地震の真実は隠された

    想定外ではなかった
    なぜわざわざ秘密会合を開いたのか
    電力会社と意見交換をしたい
    二〇一一年二月十七日の秘密日程
    保安院と地震本部事務局の秘密会合
    3・11臨時地震調査委員会
    後出しジャンケン
    3・11関連年表

    あとがき 

    Reply
  2. shinichi Post author

    葬られた津波対策をたどって――3・11大津波と長期評価 第4回

    by 島崎邦彦

    科学

    https://www.iwanami.co.jp/kagaku/shimazaki-4.html

    内閣府(防災担当)が要求した「評価の限界」と「社会に受け入れられる」論理

     前回,津波地震がターゲットであったことを示す重要な文書を図示した(前回図3)。中央防災会議の事務局(内閣府(防災担当))から地震調査研究推進本部の事務局(文部科学省地震調査研究課)に送られた威圧的な電子メールに添付されていた文書,内閣府(防災担当)名の「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」で,ここでは「内閣府添付文書」と呼ぶ。内閣府(防災担当)が考えている「主な問題点」として添付されていた。前回述べたように,この内閣府添付文書は木野龍逸氏による情報公開請求により,現在は公開されている。

     不思議なことに思うが,政府事故調は,2012 年の調査時にこの内閣府添付文書を入手できずにいた。

     2002 年7 月に長期評価公表をめぐってやりとりをした,内閣府・斎藤誠氏(参事官補佐(地震・火山対策担当))と文部科学省・前田憲二氏(地震調査研究課地震調査管理官)は,それぞれ政府事故調の聴取をうけており,聴取録が公開されている。

     斎藤氏が2012 年5 月29 日に聴取をうけ,続いて前田氏が同年6 月1 日に聴取をうけた。前田氏の聴取録には,政府事故調側の発言として,「このメールについて添付ファイルがあったようなのだが,我々は入手できていない」とある。政府事故調のもつ強い調査権限を思えば,不思議なことに思える。そしてこの内閣府添付文書は,ターゲットが津波地震であることを明確に示していた。

     以下では,斎藤氏の聴取録について,やや詳しく見ていくことにする。

     斎藤氏は,長期評価公表にあたって文科省とやりとりした電子メールについて,「はっきり言って覚えていない」と答えている。「長期評価の案について,内閣府では何か問題があると感じたようだが,どのような問題だったか」覚えているかと問われて,この長期評価に限らず,それに先立って発表されていた活断層評価も含めて,確率の数字の確度の区別をしたほうがいいと考えていたこと,「心配なことが起こったから発表していると思われるとそれは社会に対してよくないだろうという懸念を持っていた」として,地震本部の評価の発表の際には報道発表資料を内閣府から公表していたことを話している。津波地震だから特別なことをしたわけではない,と言いたいようである。

     こうした報道発表資料が内閣府から出されていることについて,私はしばらく知らずにいた。或る新聞記者から複数の記者クラブに報道発表資料として,活断層の長期評価が発表されるごとに持ち込まれている(いわゆる‘投げ込み’ されている)ことを教えてもらって驚いた。これは,長期評価の信頼性を下げようという一連の動きの一つだったと思う。

     斎藤氏は,電子メールを覚えていないと述べたが,7 月31 日の長期評価発表時の内閣府からの報道発表資料(前回図4 に一部掲載)は資料として提出している。津波地震が核心であることがわかる内閣府添付文書は出していない。そして,「このときは,文科省と相談して評価文の前文を書いてもらったので,その文章を引くような形で報道発表資料を書いた」と話している。斎藤氏は電子メールのやりとりは覚えていないが,「相談して書いてもらった」ことになっている。そして,「特に三陸沖から房総沖の件だけに対して,ものすごく心配だと言っていたわけではない」と,一般的なことだったという話にしようとしている。

     長期評価の評価文の前書きに,発表直前に一段落が追加された件について,わずか3 週間前の別の評価に同様の文言は入っておらず,なぜこの時期にこういう議論が出てきたのか,と問われると,斎藤氏は,ずっと前から議論していた,なぜこの時かは記憶がない,と答えている。

     電子メールに「上と相談」とあるが,どのランクの人かと問われた斎藤氏は,「参事官とは直接相談して,組織としてやっていた」と答えている。この参事官が前回言及した布村明彦氏であることは聴取録の冒頭で斎藤氏が述べている。私の一存ではない,というのは官僚の仕事としてはそのとおりであろう。

     発表を見送れとまで強硬に取り下げを主張した理由は何かと問われると,「はっきりとは覚えていない」。政策委員会で議論してくれということで,それは対策の準備を同時に出してほしいというようなことだと述べている。

     そして,「ある領域の新しい地震評価はまずい,というようなことはあったのか」との問いには,「多分聞かれるかと思っていたが,海溝軸沿い領域の津波地震の話で,……過去に起こっていないものについては,それが起こると考えていいかどうかは,議論はしたのだと思う。具体的なことは本当に覚えていないが」と言う。「過去に起こっていない」地震・津波の考え方が,常に問題になる。

     斎藤氏は「国の機関で発表する情報については,……社会から内容を保証されていると受け取られかねない。無責任ではいられない」と述べ,責任論が出てくる。2002 年7 月の後,成果を社会に活かす部会で布村氏は発表しているが,そこでも責任という言葉が何度も出てくる。「そんなことを言って責任をとれるのか」というような一種の脅しのようにも聞こえる。こんな事態をまねいて責任をとれるのか,責任をとったのか,その言葉をいま,氏に返したいところである。

     斎藤氏は文科省とのやりとりについても「はっきりとは覚えていない」とした上で,評価文の前書きも「この内容自体も,最終的には我々が出したものではなくて文科省さんが作られたもの。そうだと思っているので」などと答えているが,これは公開されたメールからウソだと言わざるを得ない。

     やりとりの電子メールの一部を前回に紹介したが,「最低限表紙を添付ファイルのように修正(追加)し,概要版についても同じ文章を追加するよう強く申し入れます」と当時のメールにあり,追加修正案を示し,さらに「三陸~房総沖の問題点.doc」というファイル名で,冒頭で述べた内閣府添付文書を添付していたのである。

     追加修正案では,前書き冒頭の発出体の名称に「文部科学省」を追加し,本文に以下のような段落を追加している。
     なお,今回の評価は,現在までに得られている最新の知見を用いて最善と思われる手法により行ったものではあるが,データとして用いる過去地震に関する資料が十分にないこと等のため評価には限界があり,評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には相当の誤差を含んでおり,決定論的に示しているものではない。
     このように整理した地震発生確率は必ずしも地震発生の切迫性を保証できるものではなく,防災対策の検討に当たっては十分注意することが必要である。(2002 年7 月25 日17:35,内閣府送付版)

    Reply
  3. shinichi Post author

    3・11大津波、科学者の憤怒

    by 尾関章

    https://ozekibook.com/2023/05/19/3・11大津波、科学者の憤怒/

    今週の書物/
    『3.11大津波の対策を邪魔した男たち』
    島崎邦彦著、青志社、2023年3月刊

    コロナ禍は終わったのか。世間は終わったかのような空気になっているが、どうもすっきりしない。科学者が理詰めで見極めているとは思えないからだ。政治家や官僚やメディアが、それぞれの都合でコロナの収束を触れまわっているだけではないのか。

    コロナ禍勃発後の3年は、科学と政治がかつてなく密接にかかわった時代として記憶されるだろう。日本では、政府に有識者グループが置かれ、そのトップに医師が就いた。ただ、科学と政府の関係が蜜月だったわけではない。政治家には経済を回す使命があり、経済界を支持基盤にしているという内情もある。だから、医師や医学者の助言を煙たがることもあった。それが、いま目の当たりにしている政治主導の脱コロナにつながったように思う。

    いずれにしても、コロナ期の科学・政治関係は入念に検証されなくてはならない。そのためにはまず、会議議事録の類をすべて保存すべきだ。昨今は当事者同士がメールで連絡をとりあうのがふつうだから、交信記録も公的な性格が強いものは可能な限り収集したほうがよい。検証は、責任の所在を明らかにするだけではない。これからの時代、科学と政治がどうかかわりあうべきか、それを探るときにヒントを与えてくれるに違いない。

    そんなことを考えていたら、尊敬する先輩から1通のメールをもらった。泊次郎さん――新聞記者として地震や原子力問題を担当、退社後に博士号を取得した人だ。著書『プレートテクトニクスの拒絶と受容――戦後日本の地球科学史』(東京大学出版会、2008年刊)は、戦後日本の地震研究に対する政治運動の影響をあぶり出した。科学への批判的視点を忘れない科学ジャーナリストである。その人がメールでこの本を薦めている――。

    『3.11大津波の対策を邪魔した男たち』(島崎邦彦著、青志社、2023年3月刊)。著者は、東京大学名誉教授の地震学者。東京電力福島第一原発の事故後、新設された原子力規制委員会の委員長代理として筋を通そうとしたことで有名だが、かつてお目にかかったときに受けた印象では穏やかな方だ。気骨があるが温厚な科学者。その人が、過激な書名を掲げて憤っている。よほどのことがあったらしい。これは読まないわけにはいかない。

    本書が焦点を当てるのは、2002年夏に政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が発表した「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」だ。「長期評価」では、大地震の起こりやすさを長い目で「予測」する。このときは、今後30年間に日本海溝沿いで大津波を伴う津波地震が起こる確率を20%とはじき出した。本書によれば、これに対して政府部内から反発が起こり、政治的圧力で発表文が歪められたという。

    なお、ここで「津波地震」という用語は、津波を起こす地震のすべてを意味してはいない。揺れが小さいのに大きな津波を起こす地震を指して、こう呼ぶらしい。

    そのころ著者は、地震本部地震調査委員会長期評価部会の部会長だった。だから、この圧力をもろに受けた人ということになる。そのいきさつを追ってみよう。

    この「長期評価」が発表されたのは、2002年7月31日。その5日前、1通のメールが著者に届く。文部科学省の地震本部事務局からだった。内閣府防災担当が「長期評価」前書き部分の変更案を送ってきたので「発表内容を変える」というのだ。変更案では、“なお書き”が追加されていた。今回の予測には「過去地震に関する資料が十分にないこと等による限界」があるので、「利用」に際しては「この点に十分留意する必要がある」としていた。

    今、地震本部の公式サイトにはこの「長期評価」が収録されており、その“なお書き”も読むことができる。地震本部は結局、内閣府の変更案を受け入れたということだ。

    変更案が送られたメールにはもう一つ、重要な文書を添付されていた。内閣府防災担当が、「長期評価」をどう見ているかを箇条書きにまとめたものだ。そこでは、今回の予測が「実際に地震が発生していない領域でも地震が発生するものとして評価している」と述べ、「この領域については同様の発生があるか否かを保証できるものではない」とことわっている。内閣府が「長期評価」に横やりを入れたと言っても言い過ぎではあるまい。

    理由は、この文書の次の段落を読むとはっきりする。防災対策の費用に言及し、「確固としていないもの」に対して「多大な投資をすべきか否か」には「慎重な議論が不可欠」と主張しているのだ。内閣府防災担当は、首相を会長とする中央防災会議の事務局であり、中央防災会議は気象災害から地震・火山災害まで防災の基本計画を決める。政策遂行の元締めとして、コストパフォーマンスを無視できないということだろうか。

    だが、話はそう簡単ではない。それは、ここで問題視された「実際に地震が発生していない領域」――“なお書き”の表現を用いれば「過去地震に関する資料が十分にない」領域――がどこかにかかわってくる。過去400年間の資料をもとに津波地震が起こった場所を拾いあげていくと、発生記録がないのは福島県沖だという。ならば、防災対策で「多大な投資」に「慎重」であるべき場所は主に福島県沿岸と言っているようにも思える。

    もしこのとき、内閣府が過去地震の資料不足を理由に「多大な投資」に対する慎重論を表明していなければ、福島第一原発の津波対策も増強されていたかもしれない。

    話を整理しよう。地震本部の「長期評価」は、三陸沖から房総沖にかけて日本海溝沿いのどこでも津波地震が起こりうると主張したが、内閣府は「どこでも」に難色を示した。では「長期評価」が「どこでも」と言う根拠は何か。それは、私も気になることだ。

    本書には、その説明がある。著者によると、大地震の予測方法には2種類ある。一つは、発生の「間隔」から予測する方法。ただ大昔は記録が乏しいので、間隔の長い地震には通用しない。もう一つは「同じような大地震が起きる地域を広い範囲で捉えて、そこを基準にして考える」方法。ここで「同じような大地震が起きる地域」は「地震地体構造が同じ地域」と言い換えてよい。2002年、地震本部は後者を選択、内閣府は前者にこだわった。

    「地震地体構造が同じ地域」は、今はプレートテクトニクス理論で推定できる。プレート論では、地球を覆う岩板(プレート)の動きで地震活動を説明する。津波地震は「プレートが沈み込む場所の近くで」「どこでも」起こる。リスクのある領域は広いというのだ。

    プレート論は1960年代末に広まった。だが、前述の泊さんの本にあるように、日本の学界では左派系の政治運動が影響して、導入が遅れた。その余波が内閣府に及ぶはずもないが、「長期評価」批判はプレート論研究の出遅れを引きずっているのかもしれない。

    実際のところ、内閣府が地震の「間隔」にこだわり、「過去地震」がない領域のリスクを低く見たことにはネタ元があるらしい。土木学会の原子力土木委員会津波評価部会が2002年2月に出した『原子力発電所の津波評価技術』だ。福島県沖では津波地震の記録が過去400年間にない、としたのはこの文献だった。この評価は電力業界が土木学会に委託したものであり、津波評価部会は電力関係の人々が幹事を務めていた……。

    本書は、書名に「対策を邪魔した男たち」とあるように、科学者の警告が政官界や産業界、メディア界、あるいは学界自身の事情でないがしろにされていく様子を、そこに介在した人々を実名で登場させて描きだしている。その一面だけを切りだせば過激な書である。

    報道の常識で言えば、「邪魔した男」を実名付きで指弾するのなら、その人たちの反論も載せるべきだろう。ただ、「邪魔」をめぐる本書の記述は、会議の議事録や裁判資料、福島第一原発事故の各種事故調の報告書などですでに公開されているものが多い。著者は、これら既存の証拠物件を自身の実体験とつなげることで、「邪魔」の全体像を浮かびあがらせたのだ。そのリアリティを裏打ちするためには、実名が欠かせなかったのかもしれない。

    さて、「邪魔」は2002年の「長期評価」に対してだけではなかった。2011年の震災直前にもあったのだ。もしそれがなかったなら、と思うと心が痛い。

    Reply

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *