Category Archives: music

TOKIE

Tokieプロになろうなんて一切思っていなかったんです。今でも思ってないかも。でも逆に辞めようって思ったことはないですね。壁にぶつかっていく中で、どうやったらベースをずっと続けられるのかなあとか…。
元々はDEADENDというバンドのMORRIEさんがNYでライブをやるから、そこでベースを弾くっていうお仕事をいただいた時にそこで知り合った方々とバンドを組むことになったんですね。最初はもちろん英語も全然しゃべれないし…本当に右も左も分からないから怖かったですよ。何も計画性がないまま、ニューヨークでバンドができるってだけで二つ返事でやるやる!って引き受けちゃったから。
スーツケース1つにソフトケースに入ったベースをしょってニューヨークに行くって、今はなにかと厳しいので絶対にできないと思います。笑 マークされて止められちゃうだろうなあ。
ニューヨークにいきなり行ったのも本当に若さ故ですね。他にもそういう人がいたりして、当たり前なのかなと思っていた部分もあります。笑 実は当時たまたま日本で大きな仕事の依頼があったんですよ。でもニューヨークの方が楽しそうだなあと思ってそれを断ってまでニューヨークでの活動を選びました。
行ってホームシックになったりする人や、文化や生活に馴染めない人もいるとは聞きますけど、そういうことも考えてなかったですね。笑 大学なんかの留学みたいにキッチリとしたものではないですけど、思い切って行ってみればなんとかなっちゃったんですよ。

伊丹万作

映画における音楽の位置をうんぬんするとき、だれしも口をそろえて重大だという。
なぜ重大なのか。どういうふうに重大なのか。だれもそれについて私に説明してくれた人はない。重大であるか否かはさておき、さらに一歩さかのぼつて音楽は映画にとつて必要であるか否かということさえまだ研究されてはいないのである。
音楽ははたして原則的に映画に必要なものであるだろうか。
だれかそれについて考えた人があつたか。私の見聞の範囲ではそういうばからしいことを考える人はだれもなかつたようである。
ただもう、みなが寄つてたかつて「映画と音楽とは不可分なものだ。」と決めてしまつたのである。原則的に映画が写り出すと同時に天の一角から音楽が聞えはじめなければならぬことにしてしまつたのである。
何ごとによらず、すべてこういうふうに信心深い人たちであるから、いまさら私が「音楽は必要か」などという愚問を提出したら、それはもうわらわれるに決つたようなものだ。
ことに音楽家連中は待つてましたとばかり、「これだから日本の監督はだめだ。てんで音楽に対する理解力も素養もないのだから、これでいい映画のできるわけがない」と、こうくるに決つたものだ。
私の経験によると、映画のある部分が内容的にシリアスになればなるほど音楽を排斥するということがいえそうに思える。しかしてそれは音楽の質のいかんには毫も関係を持たないことなのである。そしてこのことは映画の芸術がある意味でリアリスティックであり、音楽があくまでも象徴的であるところからもきていると思う。。。

Timers


言葉の上っ面に イチャモンつけてくる奴ら
無記名の作文で 新聞を売りさばく奴ら
逃げ腰な奴らが この国を作っているのさ
軍隊も自衛隊もハッキリできねえ
憲法の解釈もハッキリしねえ
ぼくらは逃げ腰の国民さ

吉野寿

目的も無しに生きていちゃ駄目かよ
行く先も無しに歩いてちゃ駄目かよ
ここからは今日も夕焼けが見えるよ
それよりもっとスゲェ事があるのかよ

ジュディ・オング

judy1LAST LOVE SONGS
人には言えない恋がある
  01. どうぞこのまま (丸山圭子)
  02. 異邦人 (久保田早記)
  03. つぐない (テレサ・テン)
  04. シルエット・ロマンス (大橋純子)
  05. 終着駅 (奥村チヨ)
  06. あなたならどうする (いしだあゆみ)
  07. 別離 (ミーナ)
  08. 手紙 (由紀さおり)
  09. グッド・バイ・マイ・ラブ (アン・ルイス)
  10. ラヴ・イズ・オーヴァー (欧陽菲菲)
  11. 魅せられて (セルフカバー)

二宮友和

Ninomiya1今回はすごい久しぶりに新しいベースを買って使いましたね。
(へぇ)
テレキャス・ベース。オリジナル・プレシジョン・ベース。
(それをまた何故買おうと思ったんですか?)
年が明けてから曲を作り始めたんだけど、8ビートのテンポ感のある曲がぽんぽん出て来たから、これは久しぶりにピックで弾いた方が良いなと思ったんです。
ずっとフレットレスだったんだけど、ピックでフレッテッドを弾いたら、昔の忘れていたグルーヴが自分の中で甦って来たんですよね。それで「今回はフレッテッドだ! ついでにベースも買っちゃおう! 」と思ってヤフオクで3万5千円。
(あははは。オークションなんですね)

二宮友和2

Percy Sledge


When a man loves a woman
Down deep in his soul
She can bring him such misery
If she plays him for a fool
He’s the last one to know
Lovin’ eyes can’t ever see

正倉院

Biwa


BiwaChina琵琶は、東アジアの有棹弦楽器の一つ。弓を使わず、弦をはじいて音を出す撥弦楽器。古代において四弦系(曲頚琵琶)と五弦系(直頚琵琶)があったが、五弦系は伝承が廃絶し使われなくなった。四弦系が、西アジアのウード、ヨーロッパのリュートと共通の起源を持つのに対し、五弦系はインド起源とされ、ヘッドは曲がらず真っすぐに伸びている。正倉院に唯一の現物である螺鈿紫檀五絃琵琶(上)が保存されている。また、クチャ郊外のキジル石窟の第8号窟壁画(右)のなかでは、伎楽飛天が赤色の五弦琵琶を奏でている。

Viktor Rygler, Ultimate-Guitar.Com

Alone - Heart

Intro: Am F G, Am F G E7

Vers 1:

Am           F            G                         Am            F  G  E7
I hear the ticking of the clock, I'm lying here the room's pitch dark

Am          F          G                           Am      F  G  E7
I wonder where you are tonight, no answer on your telephone

         F             C      Dm  C
And the night goes by so very slow

      F              C      Dm  G
Oh I hope that it won't end so

  C
Alone

日刊スポーツ, 産経新聞

女子中学生に下半身を見せたとして、京都府警西京署は3日、公然わいせつの疑いで、京都市西京区の末広丈晴容疑者(30)を逮捕した。西京署などによると、末広容疑者は4人組のロックバンド「SOMETHING RIOT」のギターとボーカルを担当。容疑を否認しているという。逮捕容疑は6月17日午前9時ごろ、西京区桂のマンションの階段で、中学2年の女子生徒(14)に「一緒に遊ばへん」などと声をかけ、下半身を露出した疑い。

路上で通行人の女性に無理やりキスしたとして、京都府警生活安全対策課と西京署は19日、強制わいせつ容疑で、京都市西京区川島滑樋町のロックバンド「SOMETHING RIOT」ボーカル、末広丈晴容疑者(30)=公然わいせつ容疑で逮捕、処分保留で釈放=を再逮捕した。「仕事がうまくいかずイライラしてやった」などと容疑を認めている。同署によると、無理やりキスをされた女性会社員(28)が、末広容疑者の舌を強く噛んで抵抗。翌日「舌をけがした」として病院に通院していた末広容疑者が容疑者として浮上し、再逮捕された。

中華街ランチ探偵団「酔華」

KanagawaShinbun『横浜中華街の名店「鴻昌」が25日、60年の歴史に幕を閉じた。店主は、60年代のGSブームの火付け役となったR&Bバンド「ザ・ゴールデンカップス」のギタリスト、エディ藩さん。59歳となったエディさんは閉店後の第2の人生に、再びプロのミュージシャンとしてステージに立つことを選んだ(2006年6月26日、神奈川新聞)』
記者は、MM21線の開通で街に変化の波が押し寄せてきているといいます。若者向けの新業態の店が相次いで登場し、老舗は苦戦を強いられているとか。「鴻昌」も老舗という体力だけでは、なかなか難しくなってきていたといいます。
一方、音楽への情熱は抑えきれません。2003年にドキュメンタリー映画「ザ・ゴールデンカップス・ワンモアタイム」の撮影のために「カップス」を再結成。以来、ステージに立つ機会が増えていたといいます。そんなことから、残りの人生を音楽に投入しようと決意したそうです。
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musik heute

JohannSebastianBachEine bisher unbekannte Handschrift von Johann Sebastian Bach hat der Leipziger Bach-Forscher Peter Wollny entdeckt. Das teilten das Bach-Archiv Leipzig und das Heinrich-Schütz-Haus Weißenfels am Donnerstag mit. Die um 1740 entstandene Abschrift einer Messe von Francesco Gasparini gebe Einblicke in Bachs stilistische Neuorientierung in seinem letzten Lebensjahrzehnt.
Zu Beginn seines letzten Lebensjahrzehnts entwickelte Bach einen neuen Kompositionsstil, der sich durch die verstärkte Verwendung der polyphonen Satztechnik, eine Vorliebe für die intrikate Setzkunst des Kanons und einen ausgesprochenen Pluralismus der Stile auszeichnet. In dieser Phase der Neuorientierung setzte er sich intensiv mit Werken anderer Meister auseinander, in denen die genannten Tendenzen besonders deutlich zutage traten. Die Missa canonica von Francesco Gasparini erscheine somit als ein aufschlussreiches Vorbild für die Kanonkunst und strenge Polyphonie in Bachs Spätwerk, wie sie uns etwa im Musikalischen Opfer, in der Kunst der Fuge und in der h-Moll-Messe begegnet.

荒井由実

窓辺に置いた椅子にもたれ あなたは夕陽見てた なげやりな別れの気配を 横顔に漂わせ
二人の言葉はあてもなく 過ぎた日々をさまよう ふりむけばドアの隙間から 宵闇がしのび込む
どんな運命が愛を遠ざけたの 輝きはもどらない わたしが今死んでも
ランプを灯せば街は沈み 窓には部屋が映る 冷たい壁に耳をあてて 靴音を追いかけた
どんな運命が愛を遠ざけたの 輝きはもどらない わたしが今死んでも

Mark Knopfler

Nothing gonna stop them as the day follows the night
Right becomes wrong, the left becomes the right
And they sing as they march with their flags unfurled
Today in the mountains, tomorrow the world
Gonna ride across the river deep and wide
Ride across the river to the other side

C. Bechstein

C. Bechstein glänzt in Gold
Der wohl kostbarste Flügel der Welt kleidet malerischen Klang in barocken Luxus

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Königlicher C. Bechstein Flügel im Ovidsaal, Schloss Neue Kammern, Potsdam, Park Sanssouci.

Neil Sorrell

Improvisation is among the most widely practised yet least understood methods of music-making. Its impermanence and resistance to accurate preservation make it one of the most difficult of topics to research and document.
The word itself poses all kinds of problems, not only because of its extensive and vague applications to music, but also because of its usage in everyday speech, conveying something that is insufficiently prepared and of no lasting value (for example ‘an improvised shelter’). …
Another major problem is the assumption that improvisation can be defined in an absolute, hence universal, way. Discussions therefore tend to begin with such a definition, but are almost immediately compelled to investigate improvisation within a particular culture and context. How far these detailed examinations relate to each other and to the central, common definition is not always made clear.

Carly Simon

Nobody Does it Better

Nobody does it better / Though sometimes I wish someone could
Nobody does it quite the way you do / Why’d you have to be so good?

The way that you hold me / Whenever you hold me / There’s some kind of magic inside you
That keeps me from runnin’ / But just keep it comin’ / How’d you learn to do the things you do?

Nobody does it better / Makes me feel sad for the rest
Nobody does it half as good as you / Baby, you’re the best

りりィ

うららかな春を もっと近くで見たい
草のなかで 静かに静かに目をつぶり

こんど目を覚ます その時も陽は
草のなかの 小さな小さな私にも
恋をする幸せな胸を 愛の光で包ませて
いまただ眠りたいよ この暖かいなかで おやすみ

Shearwater

Maybe I’m lost
Maybe I’m not ready
Maybe I was not properly socialized

I know the night drives
I know the afterglow
I know I look quieter than I feel

カワサキヒロユキ

ぼくは昔から小さいハコのライブが好き
武道館やらドームやらというものにはまったく興味がない
いったいこの人の生音ってどんなだろう?
それが伝わらないとライブって気がしないんだよ。
10代の頃はライブでもデモ演奏でも、間近で見れるチャンスを狙ってたね
極めつけは高2のとき
楽器フェアでサイモンフィリップスの
デモ演奏を見るのに、最前列でハイハットの真下に潜り込むような場所で
食らいついていたら、なんとメーカーのカタログ写真に写ってたっていう(笑)
とにかく生音を聞きたかったんだ
生音というのは、耳だけで聴くものじゃなくて
演奏してる自分の末端の感触
空気の振動と周囲の共振を身体全体で感じている
だから必ずしも耳に明確に聞こえなくても、自分の音はわかる。

りりィ

sky is alone
sea is alone
i am alone by myself
but
sky is with clouds
sea is with waves
living and loving together
why am i alone
with full of tears in my mind
i have to live
without a love
in such a loneliness

空もひとり
海もひとり
わたしもひとり
でも
空は雲に海は波に話しかけて
楽しそうに笑いながら生きているのに
なぜわたしひとり
心に涙ためて
さみしさにたえながら
生きていくのか

加治木剛

ぼんやりと 浮かんだ雲のように
さまよいたいと 思った頃から
遠くささやく お前の声が
いつも 私を ささえた
いつかはきっと おまえのように
飛んでみせるよ 私も

Diane Warren

I wanna leave my footprints on the sands of time
Know there was something that, and something that I left behind
When I leave this world, I’ll leave no regrets
Leave something to remember, so they won’t forget
I was here
I lived, I loved
I was here
I did, I’ve done, everything that I wanted
And it was more than I thought it would be
I will leave my mark so everyone will know
I was here
I want to say I lived each day, until I die
And know that I meant something in, somebody’s life
The hearts I have touched, will be the proof that I leave
That I made a difference, and this world will see

Wikipedia

Many songs in various languages have been based on the “Ah! vous dirai-je, Maman” melody. In English, “Twinkle Twinkle Little Star“, the “Alphabet Song“, and a variant of it is used for “Baa, Baa, Black Sheep”. It is also the basis of the Scots song Coulter’s Candy. The German Christmas carol “Morgen kommt der Weihnachtsmann” also uses the melody, as does the Hungarian Christmas carol “Hull a pelyhes fehér hó”, the Dutch “Altijd is Kortjakje ziek”, the Spanish “Campanita del Lugar,” and the Turkish “Daha Dun Annemizin.”
Several classical compositions have been inspired by this tune:

  • Johann Christoph Friedrich Bach, Variations on “Ah vous dirai-je Maman”
  • Wolfgang Amadeus Mozart, Variations on “Ah vous dirai-je, Maman”
  • Franz Joseph Haydn, The Surprise Symphony
  • Camille Saint-Saëns, Carnival of the Animals, 12th movement (Fossiles)
  • Ernő Dohnányi, Variations on a Nursery Tune, op.25 (1914)
  • Erwin Schulhoff, Ten Variations on ‘Ah! vous dirai-je, Maman’ and Fugue
  • John Corigliano, The Mannheim Rocket
  • Franz Liszt, Album Leaf: “Ah! vous dirai-je, Maman”
  • Theodor von Schacht, 3rd movement of his clarinet concerto in B flat major
  • Johann Christian Heinrich Rinck, Variations on “Ah! vous dirai-je, Maman”
  • Jean-Baptiste Cardon (1760–1803), Variations on “Ah! vous dirai-je, Maman”

Duke Ellington


“Take the ‘A’ Train” was composed in 1939, after Ellington offered Strayhorn a job in his organization and gave him money to travel from Pittsburgh to New York City. Ellington wrote directions for Strayhorn to get to his house by subway, directions that began, “Take the A Train”. It refers to the A subway service that runs through New York City, going at that time from eastern Brooklyn (opened in 1936) up into Harlem and northern Manhattan, using an express track section (opened in 1932) in Manhattan.

Maki Annette Lovelace

もう涙なんか 枯れてしまった
明日からは身軽な私
風のように 自由に生きるわ
ひとりぼっちも  気楽なものさ
目をとじて 心もとじて
開いた本も とじてしまえ
私は風 私は風
終わりのない 旅を続けるの

吉田拓郎

疲れ果てていることは
誰にもかくせはしないだろう
ところがおいらは何のために
こんなに疲れてしまったのか
今日という日が そんなにも
大きな一日とは 思わないが
それでもやっぱり考えてしまう
アー このけだるさは何だ

いつかはどこかへ 落ちつこうと
心の置き場を捜すだけ
たどりついたら いつも雨ふり
そんなことのくりかえし
やっとこれでおいらの旅も
終わったのかと思ったら
いつものことではあるけれど
アー ここもやっぱりどしゃぶりさ