One thought on “>上田秋成

  1. s.A

    >『雨月物語』、上田秋成。
    貧福論、巻之五収録。

    左内の有名なところといえば、富貴を願って倹約を尊び、暇なときには部屋に金貨を敷き詰め、楽しんだ。しかし吝嗇ということではなく、ある下男が小判一枚を蓄えていることを知ると金の大事さを説き、これをとりたて、十両の金をやった。というわけで、庶民にも人気のある奇人だった。
    その左内がある夜寝ていると、枕元に小さな翁が現れた。正体を聞くと、黄金の精霊を名乗った。ひごろのうさを晴らしに、いろいろなことを語りたいがためにやって来たという。そして、世間の金銭をいやしいものとする風潮をなげいた。「千金の子は市にも死せず」「富貴の人は王者のたのしみを同じうす」とことわざを唱え、清貧な生き方をする賢人は賢いけれど、金の徳を重んじない点で賢明な行為ではない、と断じた。
    これに、左内は興に乗って、なぜ富めるものの八割が貪酷で残忍なのか、そして、真にすばらしい働き者の人がなぜ貧しいままなのか、これは、仏教にいう前業のせいなのか、儒教のいう天命のせいなのか、と質問をした。翁は、その仏教の教えはいい加減なものであると批判し、自分の考えをのべた。つまり、金とは非情のものであり、「天の随(まにまに)なる計策(たばかり)」、自然の道理によって動くもので、善悪の論理は介在しないこと、金銭を尊重するひとのところに集まるもの、金銭をためることは技術なのだ、だから、前業も天命も関係ない、と。
    左内はこれを聞いて、ひごろの疑問が解決したことを喜び、もう一つ、これからの世の勢力の動きについて翁に尋ねた。翁はこれに、「富貴」を観点として武将を論じた。そして、上杉謙信、武田信玄、織田信長のあと、豊臣秀吉が天下をとったが、これも長くないだろう、と予言した。そして、八字の句をうたった。「堯蓂日杲 百姓帰家」

    堯蓂日杲 百姓帰家: 瑞草が生え、日は高く昇って輝き、民は家に帰る、つまり、徳川家康の天下となる。

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