藤原清孝

お姉さん、喧嘩ばかりして ごめんなさいね。私の本音は 
心よりお姉さんを信頼しておりました。
なのに、怒らせるようなことばかり繰り返して 
実に済まぬことだったと深く反省しております。許してください。
急な宣告に、今は大変ショックで とても冷静とは言い難いですが
自分の犯罪を省みて、この急な宣告も仕方が無いか・・・と、
もう諦めの境地に自分を導いている次第です。
他にも沢山のことを書きたいのですが、あまり時間も無いので
この辺で失礼致します。

2 thoughts on “藤原清孝

  1. shinichi Post author

    死刑囚の遺書

    http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/isho.htm

    遺 言 書

    お姉さん、お母さん、
    いろいろお世話になりまして、本当に有り難うございました。
    お姉さん、喧嘩ばかりして ごめんなさいね。私の本音は 
    心よりお姉さんを信頼しておりました。
    なのに、怒らせるようなことばかり繰り返して 
    実に済まぬことだったと深く反省しております。許してください。
    急な宣告に、今は大変ショックで とても冷静とは言い難いですが
    自分の犯罪を省みて、この急な宣告も仕方が無いか・・・と、
    もう諦めの境地に自分を導いている次第です。
    他にも沢山のことを書きたいのですが、あまり時間も無いので
    この辺で失礼致します。
    本当に有り難うございました。
    母上にも、どうか、どうか よろしくお伝えください。
    そして、姉上、母上共に、私奴のような人間のことは一日も早く忘れ、
    決して泣かぬよう、幸せな日々をお過ごしください。
    私奴の為に、○○さんや□□さんの育児に専念できなかったこと、
    深くお詫びし、最後、お礼とお詫びを申し上げたいと思います。
    本当に有り難うございました。
    私は幸せ者でした.姉上と母上のあたたかいお心しらいに
    心より感謝し、さよならを申し上げます。
    本当に本当に有り難うございました。
    平成12年11月30日
    藤原清孝拝

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  2. shinichi Post author

    『勝田清孝の真実』
    来栖宥子著
    恒友出版刊
     1994年 1月17日 最高裁上告棄却  藤原家へ入籍
     2000年11月30日 帰天(名古屋拘置所に於いて刑死)

    来栖 宥子
    立教大学 文学部 英米文学科 卒業
    カトリックで受洗

    http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/

    113号事件勝田清孝は、2000年11月30日、死刑執行されました。確定死刑囚でしたから、この日の来ることは私なりに覚悟して

    一日一日過ごしてきたつもりですが、現実のこととなってみますと、何の準備もなく生木を裂かれたのに等しい思いがしています。

    確かに勝田自身も遺書で申しますように、犯した罪を思えば致し方ないとも思い直すのですが、13年間ともに生きるなかで—-

    最高裁判決(1997年1月17日)までは友人として、その後は姉弟として—-人間的な、実に人間的な勝田清孝を実感してまいりました。

    「僕は、嬉しいことは、常人の何倍も嬉しいと感じる。悲しいことは、何倍も悲しいと感じる。感受性は、常人の何倍も強いと思うのです」
    と、清孝自身言ったことがあります。

    教誨師さんも「私が立ち会った中で、もっとも人間らしかった。人間というものを、感じさせてくれた」と述懐されました。

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