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士農工商とは、儒教において社会の主要な構成要素(官吏・農民・職人・商人)を指す概念である。日本では、近代になり江戸時代の身分制度を意味すると捉えられるようになったが、1990年代ごろから実証的研究が進み誤った認識であることが理解されるようになった。

  • 徒士や足軽の多くが武装した農民から発生したものであるため、太閤検地(1582年-)や刀狩(1588年)以前には、「士」と「農」の違いはかなり曖昧なものであった。
  • 江戸時代の諸制度に実際に現れる身分は、「士」を上位にし、農、商ではなく、「百姓」と「町人」を並べるものであった。また、工という概念はなく、町に住む職人は町人、村に住む職人は百姓とされた。この制度では、百姓を村単位で、町人を町単位で把握し、両者の間に上下関係はなかった。
  • 明治時代になると、政府により江戸時代の身分制度が廃止され四民平等の政策が採られることになった。ただし、四民以外の支配階層は皇族・華族・士族の称号が付与され、戸籍に明記された。
  • 明治時代以降の歴史学者は士農工商の言葉を江戸時代の身分制度を表すものと解釈するようになった。そして士農工商は身分の序列を示す概念となり、さらに士農工商に加えて穢多や非人を付けて「士農工商穢多非人」という序列があったとする説も生まれた。
  • 第二次世界大戦後はマルクス主義的な歴史認識により、武士を支配階級、農民を被支配階級と定義し、農民生活の悲惨さとそれに由来する階級闘争の存在が強調され、商人は資本を蓄積したブルジョワ階級とされた。
  • 士農工商の言葉は部落差別を連想させるとして、現在は放送禁止用語として扱われている。

One thought on “ウィキペディア

  1. shinichi Post author

    (sk) 「士農工商穢多非人」は明治生まれの言葉、「士農工商バンドマン」は戦後生まれの言葉。。。

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