橘玲

光学レンズ大手「HOYA」の鈴木洋CEOは今年1月からシンガポールに仕事の拠点を移し、取締役会があるときだけ日本に帰国しているという。「進研ゼミ」で知られるベネッセホールディングスの福武總一郎会長はニュージーランドに移住していおり、サンスターの金田博夫会長もスイスに移り、現地法人の代表に就任しているという。
だがこうした海外移住を、「租税回避」として一方的に非難することはできない。タックスヘイヴン国だけでなく、先進国のなかにも相続税のない国は、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イタリア、スイスなど数多い(新興国の中国、インド、タイなども相続税はない)。さらには福祉国家で知られるスウェーデンも相続税や贈与税を廃止している。世界最大の家具販売店イケアの創業一族などが、税負担を嫌って国を捨てるのを恐れたためだという。
海外では、相続税は不公平な税と考えられている。富裕層は容易に相続税を逃れ、払うのは大都市に土地を持つような小金持ちだけ。だから、米国では、(相続税は)払いたい人が払う『ボランタリータックス(自発的な税金)と揶揄されるという。
税務当局の悲願だった国外財産調書制度も、海外居住を苦にしない超富裕層にはなんの効果もない。“逃げ場”がないのは、真面目に働いて資産を増やしてきた「成功した中産階級」だ。そんな彼らがPBにそそのかされて無理な「節税」に走り、税務当局との紛争が起きる。その悲喜劇を横目で見ながら富裕層は国を離れ、日本の経済格差はより広がっていくことになるのだろう。

One thought on “橘玲

  1. shinichi Post author

    [橘玲の日々刻々]

    海外資産の申告義務化で”小金持ち”が陥りかねない罠

    http://diamond.jp/articles/-/25822

     いま、プライベートバンク(PB)業界でもっともホットなビジネスは「国外財産調書制度」対策だ。

     
    2012年度税制改正で創設された国外財産調書制度は、株や預金、不動産など5000万円相当を超える資産を国外に保有している個人(日本の居住者)に対して、所轄の税務署に調書(財産目録)の提出を義務づけるものだ(制度の適用は13年12月31日時点の財産からで、調書の提出期限は確定申告と同じく翌年3月15日)。

     国外財産調書制度の最大の特徴は、罰則規定があることだ。故意の調書不提出や虚偽記載は、1年以下の懲役または50万円以下の罰金に処せられる(罰則の適用には1年の猶予があり、14年末の国外財産評価分から)。

     政府税制調査会の説明によれば、5000万円という金額は相続税の基礎控除を勘案して決めたという。制度の目的が、海外資産を利用した相続税逃れを封じることなのは明らかだ。

    スイスのプライベートバンク神話は崩壊した

     日本は世界のほとんどの主要国と租税条約を締結し、脱税防止のための情報交換の手続きを定めている。さらに、世界金融危機をきっかけにタックスヘイヴン(オフショア)の存在が国際問題になり、09年のG20で「監視リスト」が公表されると、これまで守秘義務を盾に租税情報の提供を拒んでいたスイス、ルクセンブルク、香港、シンガポール、ケイマン諸島などのタックスヘイヴン国が雪崩を打つように(日本を含む)先進諸国との租税条約改定・締結交渉に踏み切った。

     日本も採用するOECDモデルの租税条約では、情報提供の要請を受けた国は、たとえ法律で銀行の守秘義務を定めていても、それを理由に協力を拒むことができない。日本とスイスは11年12月にこのOECDモデルに基づく租税条約改定に合意しているので、いまではスイスの税務当局は、日本から情報提供要請があれば国内の金融機関に顧客情報を照会し、それを提供しなければならない。これによって、スイスのプライベートバンクの「守秘性」神話は完全に崩壊した。

     しかしだからといって、日本の税務当局が自由に海外の金融機関の口座情報にアクセスできるわけではない。

     租税条約に基づく情報提供に際しては、調査対象となる個人・法人を特定するだけでなく、情報を保有・管理している機関(預金などの場合は金融機関)の名称や所在地まで求められる。そのうえで情報提供に正当な理由があることと、その情報が国内調査では入手困難であることを説明して、ようやく相手国の税務当局を動かすことができるのだ。「日本人の口座をすべて開示しろ」とか、「この人物の口座がないか全国の金融機関を調べてほしい」という要請ができないのはいうまでもなく、現実には、情報提供を求めるのは査察部が扱うような重要案件だけ限られるだろう。

     もっとも欧米を中心に先進諸国は「税務行政執行共助条約」を締結していて、税務情報の個別交換だけでなく、自動的または自発的な情報交換も行なっている。日本もこの多国間条約に署名しているから、いまでは別表の33カ国から、各国の国内金融機関を通じて日本人が受け取った利子・配当の金額などが無条件で提供されている(自動的な情報提供の基準はそれぞれの国によって異なる)。こうした情報提供は年間で12万件を超えるとされるが、その一方で多国間の租税条約にタックスヘイヴン国が加盟することはないから、租税回避の抑止には限定的な効果しかない(木村昭二『終身旅行者PT』〈パンローロング〉)。

    2012年3月時点の税務行政執行共助条約加盟国

     日本国内の金融機関に対しては、税務当局は質問検査権などを用いて顧客情報を提出させることができる。それに対して海外の金融機関は日本の法令に従う義務がないから、たとえ租税条約を締結していてもきわめて限定した情報しか手に入らない。これは税務調査の大きな障害で、税務当局は長年、納税者に海外資産の申告義務を負わせる制度の創設を要望してきたのだ。

    国外財産調書制度を回避する方法

     日本で「資産家」と呼ばれるひとのほとんどは財産の大半が国内不動産か自社株で、自由に使える金融資産はじつはそれほど多くない。海外に5000万円の資産を移転できるということは、数億円の金融資産を保有しているということだから、国外財産調書の提出義務を負うひとは富裕層のうちでもごく一部だ。しかしこの限られた富裕層こそが、PBの得意客なのだ(とりわけ海外のPBは不動産担保融資を扱えないので、多額の金融資産を持つ富裕層に営業するしかない)。こうして、国外財産調書の提出義務を逃れるにはどうすればいいか、PBの担当者がさまざまなアイデアを携えて富裕層に売り込みにいくことになる。

     誰でも思いつくように、国外財産調書制度を回避するもっともかんたんな方法は、調書を提出しないことだ。

     そもそもこのような制度が創設されたのは、日本の税務当局が海外の資産をほとんど把握できないからだった。税務当局が独力で海外資産を突き止める可能性(納税者にとってのリスク)はきわめて低く、そのうえ万が一問題になったときでも、罰則が適用されるのは“故意”の調書不提出なので、「そんな書類を出さなければいけないなんて知らなかった」といえばいい。故意を立証することは原理的に不可能なのだ。

    もちろん税務当局はこうしたサボタージュを予想して、“善意”の納税者でも調書を出していない場合は、過少(無)申告加算税を5%加重するという加罰措置を定めている(国外財産を調書に記載していた場合は、過少(無)申告加算税が5%軽減される優遇措置がある)。逆にいえば、このペナルティを覚悟すれば「善意の無申告」というシンプルな方法を試してみることができる。

     それに対してPBは、オフショアに法人や信託を設立することを勧める。これは調書の提出義務が日本国に居住する「個人」であることを利用したもので、国外財産を個人以外に持たせてしまえばいいという発想だ。

     典型的なのは、ブリテッシュ・ヴァージン・アイランド(BVI)など法人の登記情報が公開されない国に、弁護士などを代理人としてオフショア法人を設立し、その法人口座をPBに開設するスキームだ。国外財産調書制度の適用前に個人資産をオフショア法人に移しておけば、“合法的に”調書提出義務を回避できる。

     だがPBの提案するこの“高度な節税スキーム”は、顧客をより大きな災厄に引きずり込む可能性がある。

    アメリカでは、海外に80万円以上の資産があれば申告義務

     アメリカは世界でもっとも納税者に厳しい税法を持つ国として知られており、海外の金融機関に1万ドル(約80万円)以上の資産を有する場合は、IRS(内国歳入庁)への報告が義務づけられている。もっとも報告義務の基準がわずか1万ドルでは対象者は膨大になり、条文は死文化して納税者はほとんどこの規則を知らなかった。

     ところが09年2月、スイスのプライベートバンク大手UBSが富裕な米国人顧客の脱税を幇助していたとして総額7億8000万ドル(約620億円)の罰金を支払うとともに、285人の顧客名簿を米司法当局に提出(その後の米国とスイスの政府間交渉でさらに4400件あまりの顧客情報を追加提出)すると、状況は大きく変わる。IRSは埃まみれのこの古い条文を引っ張り出して、UBSに口座を保有する米国人すべて(推定5万2000口座)に対して資産情報を提出するよう通告したのだ。

     IRSの求めに応じて自主的に海外資産を申告すれば、軽減税率が適用される(それでも追徴課税や延滞税を加えると口座残高の40%を失う)。それに対して口座情報を秘匿し、UBSの提出した名簿に名前があった場合は悪質な脱税と見なされ、口座残高をはるかに上回る罰金を科されるばかりか、訴追されて監獄に放り込まれることにもなりかねない。

     それでは、「悪質な脱税」とはどのようなものなのか。

     この事件で最初に逮捕・収監されたのはフロリダの会計士で、UBSにオフショア籍の法人名義で秘密口座を保有し、700万ドル(約5億6000万円)の未申告の収益を不正に米国内に還流させ、不動産などを購入していた。それ以外でも、UBSのプライベートバンカーの勧めに応じて“高度な節税スキーム”を利用した顧客が、意図的な租税回避として軒並みIRSの標的にされたのだ。

     米国と同じく日本の税法も、オフショア法人の安易な利用を「タックスヘイヴン対策税制」で規制している。

     オフショア法人には原則として法人(所得)税が課されないから、金融資産をオフショア法人の口座で運用したり、事業所得をオフショア法人に移転するだけで税金を払わなくてもよくなってしまう。これでは国家の税収が大きな打撃を受けるので、日本の税法は、日本の居住者(個人・法人)が50%超の株式を保有するオフショア法人に対しては、その所得を株主の所得と合算して課税すると定めている。オフショア法人の実質的な所有者と見なされれば、法人の利益は個人の所得に引き直されて日本国内で課税されてしまうのだ。

     複数の法人や信託を組み合わせるなどして、日本の居住者の持ち株比率を50%未満にしてしまえば、形式上、タックスヘイヴン対策税制の対象から外すことができるが、このようにスキームを複雑にすればするほど投資家は罠にはまることになる。資産の実質的な所有権は個人に帰属するほかはなく、金融機関は「真の受益者(誰のサインで口座資金が動くのか)」を知っている。どれほど高度な節税スキームでも銀行の顧客情報が開示されてしまえばなんの意味もなく、そのうえ「たんなる勘違い」という言い訳が成り立たなくなって、故意による租税回避であることを自ら立証してしまうのだ。

     PBがオフショア法人などを使った複雑なスキームを勧めるのは顧客のことを考えているのではなく、そのほうが高い手数料を請求できるからだ。そのうえ税務調査で問題になったときも、彼らはなにもしてくれない。

     UBSは世界でもっとも有名なプライベートバンクのひとつだが、脱税幇助で米国政府から告発されたとき、彼らが真っ先にやったのは顧客を見捨てることだった。

    合法的な回避法

     国外財産調書の提出を合法的に回避するにはどうすればいいのだろう。

     調書の提出義務を負うのは、「日本に居住する個人」だった。だからこそPBは、「個人」を「法人」に変えるというスキームを提案したのだが、それがうまくいかないのなら、もうひとつの条件である「居住」を外せばいい。すなわち、日本の非居住者になればいいのだ。

     非居住者は国外財産調書の提出義務がなくなるだけでなく、日本国外の事業で得た所得や、海外の金融機関で運用した利益が合法的に非課税になる(それに対して日本の居住者は、海外で得たすべての所得が課税対象だ)。
    そればかりでなく非居住者は、場合によっては日本国内で得た所得にも課税されない。このあたりの税法は複雑だが、日本国内に支店・事務所などの恒久的施設(PE)を持たなければ、原則として国内の事業所得に課税されないのだ(インターネット通販大手のアマゾンがこの手法で日本での課税を回避し、税務当局と紛争になった)。

     非居住者の税務上のもっとも大きなメリットは、相続・贈与税にある。税法によれば、日本の居住者は「無制限納税義務者」として、国内・国外を問わず世界じゅうのすべての資産に対して相続(贈与)税を納めなければならないが、非居住者は一定の条件を満たすことで「制限納税義務者」となり、課税対象が国内財産のみとなる。すなわち、日本国籍を有していても非居住者であれば、金額にかかわらず海外資産の相続(贈与)をすべて非課税にすることができるのだ。

     非居住者というと「海外居住者」のことだと思うだろうが、税法の定義は日本国内に「住所」を持たず、なおかつ「居住期間が1年未満の個人」なので、日本に住んでいる時期があっても非居住者であることは可能だ(同時に、長期旅行などで海外に暮らしていても、生活の本拠が国内にあると見なされれば居住者になる)。税務当局は居住か非居住かを「住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実」によって判定するとしているが、その線引きはグレーゾーンが大きくしばしば裁判で争われることになる。だが自宅などを売却し、資産を海外の金融機関に移し、外国の居住権を取得したうえで一時的に日本に帰国してホテルなどに滞在することは、税法をかなり保守的に解釈しても「居住者」にあたらないのは間違いない。

    5年以上の海外移住が必要

     非居住者を利用した租税回避は武富士元会長の長男をめぐる税務訴訟で広く知られるようになったが、現在は要件が厳しくなり、相続人(受贈者)と被相続人(贈与者)がともに5年超、非居住者であることが必要となった。

     親と子が5年以上海外で暮らすなら、相続税や贈与税がかからない。そう聞いても、ほとんどのひとは「なんでそんなことをするのか?」と訝しく思うだろう。これは当然で、仮に1億円の相続財産があったとしても、相続税の基礎控除(5000万円+法定相続人×1000万円)や自宅評価の特例(一定の要件を満たせば240平米まで80%減額)などを考慮すると実際の納税額は微々たるものだ。また非居住者であっても、不動産など日本国内にある資産は相続(贈与)税の対象になる。相続税対策を考える頃には親はかなりの年齢になっているだろうから、節税のためだけにわざわざ5年も海外で暮らすのはほとんどのひとにとって非現実的なのだ。

     しかし実際には、相続税対策で海外に居住するひとたちがいる。大手企業の創業者など超富裕層で、彼らは数百億円、数千億円の資産を持っているから非居住者による「節税効果」がきわめて高く、また金に糸目をつけなければどこの国でも快適に暮らすことができる。わずか5年の海外生活で税金が合法的にゼロになるなら、こんなおいしい話はないのだ。

     こうした超富裕層の実態はこれまでほとんど明らかになってこなかったが、『納税通信』12年7月30日号の「相続特集」で何人かの実名が明かされた。
    記事によると、光学レンズ大手「HOYA」の鈴木洋CEOは今年1月からシンガポールに仕事の拠点を移し、取締役会があるときだけ日本に帰国しているという。「進研ゼミ」で知られるベネッセホールディングスの福武總一郎会長はニュージーランドに移住していおり、サンスターの金田博夫会長もスイスに移り、現地法人の代表に就任しているという。

     だがこうした海外移住を、「租税回避」として一方的に非難することはできない。タックスヘイヴン国だけでなく、先進国のなかにも相続税のない国は、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イタリア、スイスなど数多い(新興国の中国、インド、タイなども相続税はない)。さらには福祉国家で知られるスウェーデンも相続税や贈与税を廃止している。世界最大の家具販売店イケアの創業一族などが、税負担を嫌って国を捨てるのを恐れたためだという。

     スウェーデンの事例を報じた『朝日新聞』(12年7月2日付朝刊)の特集「カオスの深淵」(第2回/橋田正城記者)には、元国税庁長官の渡辺裕泰・早稲田大学教授の「海外では、相続税は不公平な税と考えられている」とのコメントが紹介されている。富裕層は容易に相続税を逃れ、払うのは大都市に土地を持つような小金持ちだけ。だから、「米国では、(相続税は)払いたい人が払う『ボランタリータックス(自発的な税金)』と揶揄される」と元国税庁長官はいう。

     税務当局の悲願だった国外財産調書制度も、海外居住を苦にしない超富裕層にはなんの効果もない。“逃げ場”がないのは、真面目に働いて資産を増やしてきた「成功した中産階級」だ。そんな彼らがPBにそそのかされて無理な「節税」に走り、税務当局との紛争が起きる。その悲喜劇を横目で見ながら富裕層は国を離れ、日本の経済格差はより広がっていくことになるのだろう。

    【註】国外財産調書制度における「国外財産」とは、国外発行体が発行した株式や債券、例えば米国株や米国債を国内の金融機関で保有する場合も含まれる(日本の金融機関の国内支店の外貨預金は含まれない)。
    この解釈だと、海外の金融機関に4000万円相当の金融資産を保有し、別に国内金融機関で2000万円相当の外国債券や外国株式を保有している場合は、合計で5000万円を超えるので、国内分と海外分を合わせて国外財産調書を提出しなければならないことになる。
    これは「国外財産」の定義に相続税法など既存の法令を流用しているためで、制度の運用にあたって提出義務をめぐる混乱が危惧される。

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